見出し画像

伊川津貝塚 有髯土偶 57:潮海山の龍神

愛知県田原市西神戸町の志田橋の上から下流側を見下ろすと、ここまで東北東に向かっていた汐川(しおかわ)の流れは志田橋の上流側から左にカーブしており、北北東に方向を転換しているようです。汐川はこのあたりから太平洋岸から離れ、渥美半島の根元にある三河湾の内海である田原湾に向かっています。

MAP1 愛知県田原市西神戸町 汐川 西神戸町
MAP2 田原市西神戸町 志田橋/潮海山/赤松一本橋
愛知県田原市西神戸町 汐川 志田橋 〈下流方向〉

汐川の堤防内の雑草の濃さは相変わらずだが、右岸(下記写真右側)の土質は、赤土であることがはっきりわかる。
この赤土と太平洋が提供してきた砂が渥美半島の基本的な土質だ。
赤土も砂も水はけが良いことから、なおさら水を必要とするのだが、水さえあれば、ここの赤土はミネラル分が豊富で作物を育てやすい土だという。
赤土と水の豊富な汐川の堤防内に濃い雑草が繁殖するのは当然なようだ。
志田橋下流の水路左岸(上記写左側)には上流側右岸に露出していたのと同じ平らなコンクリートブロックで護岸がなされているものの、右岸は護岸がされておらず、水面沿いの赤土が崩れながら連なっており、途中に堆積した土砂が水路をほぼ塞いでしまっている場所がある。
ここに至って、遠景には田原市の中心街が白い帯状に見えるようになってきた。

志田橋の下流側真下を見下ろすと、ここでも右岸側を中心に土砂が堆積しており、水面幅の60%ほどが塞がれていた。

田原市西神戸町 汐川 志田橋 〈下流方向〉

ミネラルの豊富だと言われる渥美半島の赤土が河床に堆積していることが関係しており、水底には硬水を好む藍藻が繁殖している。
名称は「藻」でも、シアノバクテリアなので、水生植物や生物にはよい環境ではないのですが、水の透明度はこれまでにないくらい上がっている。

地図上、志田橋から左岸の北北東340mあまりの場所に「潮海山(ちょうかいさん)」の表示があるので、何だろうと、観に向かった。
農道を南側から北上していると、森が右手にあり、その農道脇に朱の鳥居が設置され、「潮海山」と墨書きされた社頭額が掛かっていた。

愛知県田原市西神戸町 潮海山

上記地図では潮海山に神社の存在が表記されているのだが、この神社はこの記事を書くために調べて判明したのだが、潮海山に登った時には社名は分かっていなかった。
鳥居は潮海山山頂に向かって設置されているようだ。
鳥居の左右の親柱には榊は無いが、小さな竹造の榊立てが取り付けられている。
これは国ッ神系の神社ではなく、天ッ神系の神社であることを示している。
これもやはり渥美半島が伊勢神宮と向かい合っていることを表しているのかもしれない。

上記写真を見ると、鳥居の右脇の地面に何やらメッセージの書かれた丸い鉄の案内板が置かれていた。
それが以下の写真だ。

田原市西神戸町 潮海山 新美神明社案内書

新美神明社なら天ッ神系の神社なので、鳥居の榊立てと矛盾はない。
しかし、新美神明社だと、社頭額の「潮海山」という山号が謎になる。
アマテラスを祀る神社が寺院と習合することはありえないからだ。
そして上記写真のように、その案内の内容は不気味で奇妙なものだった。
周辺に人気はまったく無く、この案内書が無くても女性一人でこの山に登ることは無いだろう。

鳥居をくぐると、左にカーブする登り坂になっていた。
杭と素木の蹴込板で段差を造られた緩やかな土の階段を30mあまり登っていくと、石垣で囲われた土壇の中央にやはり石垣を組んだ基壇上に社が祀られていた。

西神戸町 潮海山 潮海社

参道はここが行き止まりで、他には何も祀られていないので、この社が新美神明社だと思った。

新美神明社は南向きに祀られている。
社の正面に回ると銅板葺素木の社で、この社の柱にも鳥居に取り付けられていたのとまったく同じ榊立てが取り付けられていた。

西神戸町 潮海山 潮海社

参拝したが、新美神明社の不気味な案内書はアマテラスという女神が祀られているので、女性の入山を嫌がるのかと思い、ネットで新美神明社の由緒を調べてみると、新美神明社は潮海山ではなく、同じ西神戸町の潮海山の北西430m以内に祀られている神明社であることが判明した。
となると、潮海山に祀られている神社は新美神明社の境内外摂社のような役割の社なのかもしれない。
新美神明社の板書『神明社』には以下の一文があった。

潮海社 祭神 龍神 海神

新美神明社の板書『神明社』

潮海社の祭神は一説には猿田彦命といわれているが、

新美神明社の板書『神明社』

元は龍神・海神として祀られていた社に明治期に猿田彦命が当てられたのかもしれない。
猿田彦命が潮海社に当てられたのは、やはり、伊勢湾対岸の伊勢市に猿田彦神社が祀られていることが関係している可能性がある。
渥美半島にはほかに2社の猿田彦神社が祀られているのだ。
ただ、それが判明したとしても、新美神明社による女性に対する謎の警告の謎は解けない。

潮海社の祀られた潮海山を北側から見たのが以下の写真だ。

西神戸町 潮海山

上記写真の円墳のような森の右側麓に潮海社の朱の鳥居は位置している。
そして、潮海山が紹介される時は「愛知県一低い山」として紹介されている。
標高は27mとなっているが、それなら、正確には「地図に表記されている山の中で愛知県一低い山」となる。
何故なら、名古屋市内にはもっと低い標高11mの丹八山(たんぱちやま)が存在するからだ。

ただし、丹八山は元の所有者が戦後に名古屋市に公園として開放したことから、地図上の現在の表記は「丹八山公園」となっている。
しかし、山名の表記が無くても山と呼べるものは丹八山の周囲にはほかに2ヶ所存在し、両方とも丹八山より標高が低い。
○○一を標榜するのは難しい。

ところで、潮海山だが、周囲は平で、元は水田地として開発された場所と思われるが、となると、平地を削り出すときに出た余分な土を集めてできたのが潮海山ではないかと思われる。
古墳が築かれるようになったのは水田地が開拓されるようになったことと関係があるからだ。
潮海山から汐川まで100m以内である。

潮海山から志田橋に戻り、汐川左岸堤防をたどって下流430m以内に架かった赤松一本橋に向かった。
赤松一本橋に着いてみると、志田橋と同じ欄干を使用した橋で、同じ人物が設計したものと思われる親柱に照明は内蔵されていないものの、橋の両端を広げ、欄干の色を水色にした橋だった。

愛知県田原市西神戸町 汐川 赤松一本橋 親柱

橋の袂に愛車を駐めて、赤松一本橋の中央に出て上流側を見下ろすと、赤松一本橋の60mあまり上流で水路は分岐していた。

MAP2内⑨ 田原市西神戸町 汐川 赤松一本橋 〈上流方向〉

分岐した川(上記写真左)は越水川(こしみずがわ)で、汐川に合流している。
越水川は上流440mあまりに位置する越水池から流れ出している。
水質は汐川、越水川ともここまでの汐川で最も悪く、赤土で濁っている。

下流側を見てみると、両岸が護岸されていないようで、水面上に饅頭型の雑草が点在していた。

MAP2内⑩ 西神戸町 汐川 赤松一本橋 〈下流方向〉

汐川の水質は、この後、どうなっていくのだろうか。
汐川はさらに左にカーブしており、遠景の白い帯状に見えていた田原市の中心街が志田橋より近づき、左右に広がっている。

◼️◼️◼️◼️
汐川は田原市赤羽根町に源を発するとされている自然河川としては渥美半島最長の川として紹介してきましたが、実は渥美半島には奥三河の山々で降った雨を渥美半島の先端に近い農耕地まで届ける豊川用水も流れています。汐川の水源の60%ほどが溜池によるもので、35%ほどが天水(降雨)によるものです。つまり、渥美半島の汐川の流れていない地域の農業では溜池と天水に依存するしかない状況だったのです。豊川用水が通る1968年以前の渥美半島では日照りが続くと溜池の水を人為的に水桶に汲んで、牛車で畑まで運んでいたそうです。もちろん、水道のない時代には生活用水も自宅に風呂桶くらいの容量の「タタキ」と呼ばれる雨水を溜めるプールを設け、そのタタキに依存する生活をしていたそうです。豊川用水が通る以前と以後で渥美半島の農業と生活は劇的に転換しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?