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蒲郡 石2:ハナキネと宗我氏

遠出をしていたため、noteを始めて以来、始めて4日間も書き込みができませんでした。
蒲郡市
(がまごおりし)捨石町 捨石神社(素盞嗚神社)のニノ鳥居をくぐりました。

愛知県蒲郡市 捨石神社/境内社御鍬神社

目の前に、この杜の丘陵上に向かって幅の広い石段が立ち上がていた。

愛知県蒲郡市 捨石神社 石段

石段を登りきると、開けており、白っぽい砂利が全面に敷き詰められていた。
石段の正面10mあたりには瓦葺入母屋平入の拝殿が設置されていた。

愛知県蒲郡市 捨石神社 拝殿

3段の石段部分の最上階に上がって拝殿の軒下を見上げると、額部に透彫(すかしぼり)の装飾の施された大きな扁額には新橋色の胡粉(ごふん)で 着彩された「素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)」と浮き彫りされた文字が入っていた。

愛知県蒲郡市 捨石神社 拝殿 扁額

一般的な神社建築より、屋根を支える斗栱(ときょう)が多用されていて、寺院建築っぽい。

「スサノオ」の名前には以下のように書物や神社によっては複数の異なる漢字が当てられており、名称の異なるものも存在する。

      〈古事記〉・建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
           ・速須佐之男命
           ・須佐之男命
     〈日本書紀〉・素戔男尊
           ・素戔嗚尊
           ・須佐乃袁尊
   〈ホツマツタヱ〉・ソサ
           ・スサ
           ・ハナキネ〈斎名 (いみな:本名) 〉
   〈先代旧事本紀〉・スサノヲ
   〈出雲国風土記〉・神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)
 〈出雲大社 素鵞社〉・須佐之男命 
   〈熊野本宮大社〉・熊野家津御子大神(くまのけつみこのおおかみ)
     〈八坂神社〉・素戔嗚尊    ※素盞嗚神社の総本社
     〈津島神社〉・建速須佐之男命
     〈氷川神社〉・須佐之男命

『ホツマツタヱ』での表記「ソサ」は「紀州」の旧名とされる。
そして、『ホツマツタヱ』での表記「ハナキネ」は漢字では「花杵」と表記される。
『ホツマツタヱ』によれば、ハナキネはイサナミ(イザナミ)が花の季節に花の木の下でワカヒメに歌を教えている時に生まれたので、そう名付けられたと説明されている。
「キネ」に関しては「きぬ」は「こなす(熟す)」や「こねる(捏ねる)」などの原動詞「こぬ」の変態であるとみられ、「高める・熟成する・優れさす・精緻にする」などの意を持つとされ、そこから「キネ」は「熟・高」の意であり、「キ(貴・奇)」と同意とみられる。
また「キネ・キ」は父親の「イサナキ(イザナキ)」の「キ」と同じで、
『ホツマツタヱ』には「キネ・キ」は「男の君」を表すと説明されている。
つまり、「杵(きね)」は「彦」「宿禰(すくね)」などと同じく「男」を意味する言葉ということになる。

そして、須佐之男命を祀った出雲大社の境内社素鵞社(そがのやしろ)の名称は蘇我氏の祖とされている武内宿禰と須佐之男命が何らかの関わりがあることを推測させる。

そして、「蘇我」の漢字表記は、やはり書物によって以下のように異なる。

    〈日本書紀〉蘇我    
     〈古事記〉宗賀
  〈先代旧事本紀〉宗我
〈上宮聖徳法王帝説〉宗我
  〈日本三代実録〉宗我
  〈元興寺縁起帳〉巷奇

ところで、ここ素盞嗚神社には下記写真の右(賽銭箱)と左(水鉢)では異なる神紋が使用されていた。

 左:水桶  右:賽銭箱

上記左が通常の唐花紋で中央の五弁の花を五瓜(ごうり)と呼ばれる瓜の切断面の枠が取り囲んでいる。
左の神紋のもっとも外側の円弧は石造の浮彫であることから、神紋を水桶の地から円弧で区切る必要があって、付け加えたものだと思われる。
上記右は線画で表現されたものだが、花弁と瓜の枠がともに1つ増やした形にアレンジされている。
どっちが正規な神紋なのか不明だが、鬼瓦に入っている神紋も通常の唐花紋になっていた。
何れにせよこの「花」の要素は花杵(ハナキネ)に由来したものと思われる。
また杵は「突く道具」であり、スサノオがヤマタノオロチから手に入れた草薙剣に通じるところがある。
神紋の瓜は流れ着くもののメタファーであり、スサノオが父親のイザナミが筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊(みそぎ)を行った際、産まれた神であること、宗方三女神(むなかたさんじょしん)という水神の親であることと無関係ではないと思われる。
拝殿前で参拝したが、ここの主祭神は素盞嗚命単独となっている。

拝殿の左側に回ると、コンクリートでたたかれた参道が奥に延びていた。

捨石神社 社殿

拝殿の裏面には瓦葺の弊殿と渡殿、その奥に瓦葺切妻造の本殿覆屋が同じ黄朽葉色(きくちばいろ)の板壁を張られて、連なっていた。
本殿覆屋は1.5mほどの高さの石垣上に設置されている。

素盞嗚神社の社殿に沿って奥に延びる参道を辿ると、その参道から分岐した石段を持つ社地があって、1mほどの高さの石垣上に玉垣が巡らせられた鰻の寝床のような境内だ。

捨石神社 境内社御鍬神社

10段もない石段を上がると、両側に対になった常夜灯の間からは広くなった踏み面に白い砂利を敷き詰めた石段に変化しているが、そこまで上がると、参道の右手は森になっている。
そして、反対側の石段の左脇に「御鍬神社(おくわじんじゃ)」と刻まれた社号標。

捨石神社 境内社御鍬神社 参道

その社号標の奥の石段が終了した場所には石造明神鳥居が設置されていた。
石鳥居の奥には瓦葺の社が見えている。

鳥居をくぐると、奥の50cmほどの高さの石垣上には瓦葺入母屋造棟入で躯体が素木の板壁と板戸で覆われた御鍬神社が祀られていた。

捨石神社 境内社御鍬神社

石垣の正面には石垣上に上がる石段が設けてあり、御鍬神社前に上がって参拝した。
御鍬神社の総本社は不明だし、祭神は御鍬神社によって様々なのだが、御鍬信仰は神宮の御田植初め神事に由来するもので、その時に使う忌鍬(いみくわ)を諸国に祀り、農の豊穣を祈ったのが始まりだという。
ただし、神宮には御鍬神社は祀られていない。

ここの御鍬神社内は真っ暗だったが撮影した写真を強制的に明るくすると、ヘッダー写真のように御幣が浮かび上がった。

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この記事では石が砂利と石造水桶しか登場しませんでしたが😓 参道はさらに奥に延びていました。

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