見出し画像

私のシンクロニシティー 2/2

先週、小生の遭遇した事件は遠征にモーターサイクルを使用するといったルーティンを外したことによって起きてしまったと言ってもいいものでした。
◾️◾️◾️◾️

この夏、飛騨の考古学資料事務所の学芸員に6点の土偶を見せてもらう申し込みをしたところ、個人に対応するには煩雑な手続きが必要になるので、10月31日と11月1日に行う展示会で、リクエストした6点の土偶を出品するので、その時に来てくれということになった。
飛騨に行く目的の半分は夏に涼しい場所をツーリングするのが目的なので、10月末では意味がなかったのだが、煩雑な手続きは聞かされただけで、めげたので、やむなく、10月末に飛騨に向かうことにした。
それでも、この日は暖かければ、愛車のモーターサイクルで飛騨の展示場まで行くつもりだったのだが、朝起きたら、この冬一番の寒さで、高山の山間部には初霜が降りたという。
で、電車で飛騨に向かうことにしたのだが、これが間違いの始まりだった。

新幹線以外の電車に3時間以上乗るのは生涯4度目のことだった。
つまり、ビギナーだったのだ。
そもそも、いつものルーティンと異なった行動をすると、必ずといっていいほど、自分がミスをしてしまうのは分かっていたことなのだ。
事件に遭遇した二つ目の要因として、飛騨に到着した11時半には気温が上がっていたことがある。
尋常でない汗っかきの自分が寒さ対策で着てきた厚いコートを着たまま、長距離の上り坂を歩くのは無理だった。
展示場のある場所は山の中腹にあった。
それで、バッグは背中に背負っていたのだが、両手には脱いだコートと地図を見るためのiPadを抱えていた。
展示場の入り口にたどり着いた時には汗だくになっていた。
県外からこの展示場に人がやって来る事は、めったに無い事だということで、ほとんど小生のための展示会になっていたのだが、その紹介は来夏、土偶が出土した場所をツアーしてからということになる。
ともあれ、この日の第一目的の展示会を見終えた。
最寄駅の飛騨国府駅に戻り、駅周辺で食事を摂ろうと思っていたのだが、食事する店が1軒も無かった。
それで、高山市内で食事を摂ろうと、飛騨国府駅で時刻表を見たところ、名古屋~高山~飛騨国府の高山本線は1時間に特急が1本と普通が1本しか運行がされていないことを初めて知った(電車ビギナーならでは)。
しかも午後の2.5時間は電車の運行の無い時間帯があったのだ。
このことを前もって知っていたら、寒くてもモーターサイクルで出かけており、事件は起きなかっただろう。
しかも高山方面に行くこの駅1時間1本の普通電車は7分前に出たところで、飛騨国府駅で次の電車まで1時間20分、路頭に迷うことになった。
喫茶店さえ皆無だったのだ。
それに、ここで時間を潰してしまうと、時間があれば、もう一ヶ所寄ろうと思っていた久々野(くぐの)歴史民俗資料館の入館時間に間に合わなくなる恐れもあった。
それで、やむなく駅前でタクシーを呼んで高山駅まで向かい、駅前で不味くはないレベルのラーメン大盛りを掻き込んで、久々野駅行きの普通電車に間に合わせた。
ちなみに普通電車しか止まらない飛騨国府駅も久々野駅も無人駅であり、久々野駅は高山本線で最も標高の高い駅として知られており、その標高は676mである。

久々野駅で今度は名古屋に帰るための普通電車の時間を確認して、歴史民俗資料館に向かったのだが、猶予は1時間20分しか無かった。
このことが事件に遭遇する第3の要因となった。
ところがこの歴史民俗資料館への道がわかりにくく、案内表示も無いことから、異なった道にかなり進んでから引き返すことになり、時間を無駄に消費してしまった。
途中、バッグからiPadを取り出して地図を確認し、再び、両手で荷物を持って、超急坂を徒歩で山を頂上まで登ることになってしまい、再び、汗だくになり、かなりバテた。
バッグからiPadを取り出したことと、このバテたことが事件の第4、第5の要因となった。

なんとか、素晴らしい縄文土器の展示された歴史民俗資料館を見終えて、資料館のある堂之上遺跡を巡り、時間ギリギリで久々野駅に戻ることができた。
しかしこの、時間ギリギリで戻ったことが事件に遭遇する第6の要因になった。
予定通りの電車に乗って2時間も走ったところだった。
この時、事件は起きた。
この電車は美濃太田駅止まりなので、電車を乗り継ぐ必要があった。
iPadで乗り継ぎの電車をチェックしようと、バッグを開いたのだが、iPadが見当たらなかった。
iPadが無くなったところで、事件とは呼ばないのだが、このiPadでiCloudで保存しておけないような重要な金融機関関連とネットを利用するためのすべての暗証番号を管理しており、この重要な個人情報が見当たらなくなってしまったことが、個人的な大事件だったのだ。
これはケータイを紛失した経験のある人だけが共有できる大事件であって、社会的には取るに足らない事件である。
病気と紛失ほど個人と社会の間に価値のギャップのある出来事は無い。
旧いデータは保管してあるのだが、月一で暗証番号変更を要求してくる重要な金融機関もあり、出かける前に最新データを上書きしてくるべきだったのだ。
iPadが見つからなかった場合に要することになる時間と労力を考えると、この20年で最高にめげた。

最初に置き忘れた場所として思い当たったのは久々野のプラットホームにあった待合室と駅舎の待合室だった。
久々野駅は自分が帰途にそこにいる間は通勤時間だったにも関わらず、誰一人駅を利用していないので、2時間は経ってしまったが、iPadはそのまま待合室に残っている可能性があった。
そこで、次の駅で降りて久々野駅に戻る事を考えたのだが、これから戻ると帰宅する最終電車に乗ることができなくなる時間だった。
iPadが戻って来る可能性と、久々野駅の待合室で眠ることになる可能性を考えたのだが、霜が降りた翌日に高山本線の最高峰の無人駅であり、しかも熊が平気で国道に出現する場所なのだ。
駅舎のガラス窓など、簡単に破られるだろう。
それで、久々野駅に戻るのは断念した。
そして、この電車に乗っているたった一人だけの車掌に相談したところ、プラットホームの待合室に限っては最終電車の車掌にチェックしてもらえるかもしれないとのことだった。
ただ、駅舎の待合室は陸橋を渡って戻って来る必要があり、物理的に無理だろうとのことだった。
そしてこの若い男性の車掌が小生の親族のように親身になって色々な方策を考えてくれ、最終的に名古屋に向かう次の乗換駅の美濃太田で、JRと交番に遺失物届けを出すことにした。
この日は土曜日だったので、iPadを誰かが届けてくれたとしても、確認できるのは月曜日以降になるという。
美濃太田駅前の交番で受付をしてもらうと、申請した警察署名と受付番号をメモするように言われた。

3加茂警察署

受付番号は「2102」だった。
最低限の届出の作業を終えたので、乗り換えのプラットホームに戻ったのだが、出来るだけ早く待合室を確認する方がiPadが戻ってくる確率は高くなる。
そこで、久々野駅前に住んでいる人にギャランティーを提示して待合室にiPadが無いか見に行ってもらうことにした。
ケータイで駅前を調べると、食堂と自転車屋さんがあった。
迷わず、自転車屋さんに電話することにして電話番号を調べたところ、頭の中で何かがざわめいた。
電話番号の末尾の数字が、つい最近見たことのある数字だったのだ。
通常では覚えたりすることのない意味の無い数字なのに、交番での受付番号をチェックしてみると、自転車屋さんの電話番号の末尾の4桁「2102」がシンクロしていたのだ😂

4矢嶋自転車店

この時、何の根拠もなく、「iPadは自分のところに戻ってくる!」と確信した。
一方で、成るように成るさと、一気に力を抜くことができた。

美濃太田駅のプラットホームから自転車屋さんに電話すると女性が出た。
事情を話すと2ヶ所の待合室をチェックしていただけることになった。
ギャラなど不要とのことだったが、そうはいかなかった。
実はこのくだりを書いていたら、自転車屋さんからお礼の電話が入った。
昨日、iPadが見つかった経緯の手紙とお礼の品を送ったのが、届いたという連絡と逆にお礼の言葉をいただいたのだった。
お礼はかなり奮発したので、喜んでいただけたことが伝わってきた。

話が前後したので解りにくくなったが、当日、乗り継ぎの電車に乗って、名古屋方面に出発する直前の車内に自転車屋さんから報告の電話が入った。
両待合室にiPadは見当たらなかったとのことだった。
これを聞いた瞬間、歴史民俗資料館のピロティー下のベンチにiPadを置いた記憶が蘇ったのだ。
堂之上遺跡を見終えた後、久々野駅に戻らなければならない時間がタイトだったので、バッグから出したiPadをしまう余裕もなく、荷物を置いたまま、iPadが目立たないように上にバッグとコートを重ね、堂之上遺跡を駆け足で巡り、視覚に入っていたコートとバッグだけを引っつかんで、急いで駅に向かったのだった。

名古屋駅で乗り換える時、歴史民俗資料館に電話を入れた。
だが、閉館になっているから、誰も出なかった。
翌朝、開館時間の8時半に電話を入れようと身構えていたところ、8時に歴史民俗資料館の方からiPadを忘れて行ってるとの連絡が入った。
コロナ対応で、入館時に連絡先を記入する決まりになっていたことが功を奏したのだ。
閉館直前の時間帯、見学者は小生一人だけだったのだ。

◼︎◼︎◼︎◼︎
ヘッダーに使用するために「2102」の数字が入った画像を探していたら、「2102」はエンジェルナンバーで、『心地いい場所から飛び出して、長い間望んでいた新しい挑戦を始める時が来た』という意味を表す数字だというスピリチャルな説明をしているサイトがあった。
自転車屋さんにその事を伝える勇気は無かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?