伊川津貝塚 有髯土偶 36:初代大物主=大己貴命
名古屋市西区中小田井の五所社拝殿の東側には複数の境内社が祀られていました。
五所社境内社の伏見稲荷から祭文殿前に戻り、拝殿との間を抜けて東側に出ようとすると、祭文殿前の玉垣内に「神明社」の社号標を持つ紅色に染められたトタン張り屋根に素木造平入の境内社が祀られていた。
オートフォーカスでもピンボケするくらい、感じていたより境内は暗くなっていた。
この神明社は五所社本殿に合祀された現在は6社あるうちの1社、神明社と同じ社で、そのことから、周辺に祀られていた神社が廃止になったなどの理由で、ここに遷座した境内社なのだろう。
神明社の設置されている基壇の石組みは背後の祭文殿の石垣に使用されている石と同じものが流用されていた。
脇の玉垣を挟んで東隣には、同じく境内社の津島社が祀られていた。
神明社の屋根と同じ紅色で、ただしこちらは軒下の唐草模様の白以外はオール紅色に染められたトタン張り切妻造棟入の社で、前面の開口部に御幣が1本立てられている。
愛知県でスサノオが祀られる場合は総本社が愛知県内に存在することから、そのほとんどが津島社だ。
この津島社の祭神スサノオは隣のアマテラス(神明社)とは姉弟の関係なので、同じく周辺からここに遷座されたものなのだろう。
さらに津島社の東隣には国府宮社(こうのみやしゃ)が祀られている。
国府宮社も津島社と同じく総本社の尾張大国霊神社(おわりおおくにみたまじんじゃ)が愛知県内にあり、「国府宮社」はその総本社の別称である。
●はだか祭
尾張大国霊神社(というよりは、そのはだか祭だが)はあるイタリア映画で世界中に知られることになった。
1962年に公開されたグァルティエロ・ヤコペッティ監督製作のドキュメンタリー映画『世界残酷物語(原作直訳名「犬の世界」)』だ。
世界中の奇習の映像を集めて編集したただけの作品だが、世界的な大ヒット作品になった。
他人と一緒に風呂に入る習慣のない欧米では裸で祭をするのが奇異だったのだろう。
いや、日本には複数の裸祭があるが、水行が一般的に行われることの無くなった現代では、奇祭の部類に入るかもしれない。
実際、日本でも国府宮はだか祭が紹介される際には枕言葉として「天下の奇祭」を付けて紹介されることが多い。
今年の2月22日に行われた国内最古であるとされている国府宮はだか祭では史上初めて御神事の一部に女性たちが参加して話題になっている。
ん!もしかして、これは日本初の女性総理誕生の前触れか。
国府宮社の祭神は尾張大国霊神(=一説では大国主命)となっている。
この神を大国主命とするなら、五所社本殿に祀られたアマテラスの一族に国を譲った(=収奪された)神である。
表参道を進むと、銅板葺切妻造棟入の巨大な拝殿が立ち上がっていた。
国府宮社の背後、五所社本殿の並びに人が出入りできるサイズの銅板葺切妻造棟入で瓦葺の向拝屋根を持つ、前面が全面格子窓の境内社秋葉社が、祀られている。
素木だったと思われる木部はほとんど黒く染まっている。
この秋葉社は1対の常夜灯(火袋が省略)、1対の石灯籠、飛び石の参道を持っていた。
五所社本殿の両脇には西側に日本最多の伏見稲荷社と東側に愛知県最多の秋葉社が控えていることになる。
秋葉社の祭神は秋葉大権現だが、明治時代以降は火之迦具土大神が当てられている。
火之迦具土大神は本殿に祀られているイザナギの息子だが、スサノオの別名でもある。
ただし、秋葉大権現と火之迦具土大神・イザナギ・スサノオは本来無関係である。
境内社秋葉社の東隣には紅色の瑞垣と廻廊に囲われた境内社が祀られていた。
この社は1対の常夜灯とコンクリートで叩かれた短い参道を持っているが、やはり常夜灯は火袋がカットされている。
倒壊予防のためなのだろう。
瑞垣の前まで進むと、瑞垣の陰に「金毘羅社」(こんぴらしゃ)の社号標があった。
金毘羅社の総本社、香川県の金刀比羅宮の祭神は大物主神となっているが、出雲族系の価値観で書かれているとみられる『ホツマツタヱ』では「オオモノヌシ」は個人名ではなく、役職名としている。
さらに、それは6代に継がれた役職であり、初代オオモノヌシをクシキネ(オホナムチ)としている。
下記写真は拝殿の南東方向から撮影した表参道〜本殿廻廊の全景。
かなり陽が落ち、拝殿、祭文殿共に照明が入っている。
上記撮影場所から反対方向(南東)をみると、境内には戦死者慰霊碑を祀った大きな塚が築かれ、南側には庄内川の壁のように高い堤防がそびえていた。
庄内川がいかに天井川になってしまっているかが、よく分かる。
実際に五所社に入った西側にある脇参道の入り口には玉垣が巡らされ、石畳が表参道のある東に向かって延びていた。
入り口右脇に見える社号標は南側社頭の社号標より旧い。
鳥居は社頭の鳥居と同じ規格の石造伊勢鳥居になっていた。
この日はここから帰途に着いた。
(この項終り)
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岐阜県恵那市の夕立山を水源とする庄内川(岐阜県内では「土岐川」)は名古屋市で伊勢湾に注いでいます。かつての複数の荘園(庄)を経由して流れている庄内川が天井川であることは、洪水を招いた川であることを示しています。徳川家が名古屋に遷府したことから、徳川家直系の尾張藩は名古屋城下町を守るために庄内川左岸に「御囲禍堤」(おかこいかつつみ?)と呼ばれる堤防を築きましたが、それに対して、美濃國側の外様の各藩は御囲禍堤に対し3尺(約1m)低い堤防しか築くことはありませんでした。
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