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伊川津貝塚 有髯土偶 16:トヨクムヌとオオアガタ

碧南市(へきなんし)半崎町(はんざきまち)の西端八剱神社(はっけんじんじゃ)から北々西5.7km以内にある刈谷市小垣江町(おがきえちょう)の小垣江神明神社に向かいました。高浜市を経由して、名古屋碧南線(なごやへきなんせん)を北上すると、小垣江神明神社社頭脇に位置するファミリーマートの前に到達しました。その時にはかなり陽が傾いてきていました。

愛知県刈谷市小垣江町 小垣江神明神社
刈谷市小垣江町 小垣江神明神社
小垣江町 小垣江神明神社
小垣江町 小垣江神明神社

地図を見ると、ファミリーマートは小垣江神明神社社地の一部が活用された店舗のようです。
小垣江神明神社社頭脇に位置するので、ファミリーマートの駐車場に愛車を入れて、南向きの小垣江神明神社社頭に回ると、社前を東西に通っている一般道の歩道から舗装された表参道が北の丘陵上に延びており、その入り口左右には玉垣の親柱が立てられ、その先数メートル左脇に「神明神社」と刻まれた社号標。

愛知県刈谷市小垣江町 小垣江神明神社 社頭

社号標の奥には紅白の「祝 七五三詣り」の幟が出ていた。

表参道に入ると、社号標の手前に参道に向けた五三の桐紋の付いた小垣江神明神社看板があり、そこには「刈谷市最古の神社」と記されていた。
表参道の坂道を50mほど登ると、スロープから別れて並行して登る石段の麓に出た。
石段は15mほどだが、スロープの方を登ると石段の上に一ノ鳥居が設置されており、スロープの舗装はそこまでで終わっていた。

刈谷市小垣江町 小垣江神明神社 一ノ鳥居

鳥居は伊勢鳥居で、鳥居の先はスロープに続く通路と一体になった表参道として奥に伸びている。
表参道の左手は奥に長い空き地になっている。

一ノ鳥居の先から両側が並木になっている表参道を60mあまり進むと、二ノ鳥居に到達した。

小垣江町 小垣江神明神社 社号標/二ノ鳥居

二ノ鳥居の左手前には二重の基壇を持つ社号標が設置されていた。
社号標左脇は一般道になっていて、一般住宅も並んでいる。
一方、二ノ鳥居の奥には社殿が並んでいる。

二ノ鳥居をくぐって50mあまり進むと、プレーンで美しい拝殿の前に出た。

小垣江町 小垣江神明神社 拝殿

銅板葺切妻造平入で、木部も屋根も葡萄茶に染められ、それと、屋根の構造の薄さがプレーンな印象につながっているようだ。
屋根にはアマテラスを示す6本の鰹木と内削ぎの千木が乗っている。
拝殿の前面には柵が設けてあり、その奥に引っ込んだ場所全面に格子戸が閉め立てられている。
拝殿前に上がって参拝したが、二ノ鳥居脇に掲示されていた『神明神社略記』には以下のようにあった。

 鎮座地 愛知県刈谷市大字小垣江字下五拾六 

 社格〓〓〓 村社 神明神社
 祭神 天照皇大神 譽田別命 迦具土命 豊受姫命 豊斟渟命 大懸命
 由緒 長保二年當池ニ創立 〜中略〜
境内社 稲荷社 八剱社、御鍬社 龍神社 水神社 荒神社 柘植社 山神社 津島社 秋葉社 住吉社  

    昭和13年4月

小垣江神明神社境内板書『神明神社略記』

祭神六柱のうち、末尾の二柱、豊斟渟命(トヨクムヌ)と大懸命はあまり遭遇することのない神だ。
「豊斟渟命」は『日本書紀』での表記だが『古事記』では「豊雲野神(トヨクモノ)」と表記され、それぞれ、情報が以下のように異なる。

「豊斟渟命=天地開闢に登場する神世七代の第3代の神にして、神世七代の最後の独神。男神である。
豊雲野神=神世七代の第2代の神で、すぐに身を隠したとされている。」

藤原氏にとって隠したい神だったのかもしれない。
それを裏書きするような説もある。
豊斟渟命を豊玉彦の別名とする説だが、豊玉彦の別名は徐福よりもはるかに多く、その中には天太玉命(アメノフトダマ)という藤原氏にとってはライバル関係にあった忌部氏系統の神々が含まれている。

「大懸命」に関しては境内にもネット上にも情報が見当たらないが、尾張二宮大縣神社(おおあがたじんじゃ:愛知県犬山市)に参拝したことを思い出した。
その主祭神が大縣大神である。
ただ、「大縣大神」でもネット上にヒットする情報は無いのだが、Wikipedia「大縣神社」の項目内に以下の情報があった。

大縣大神は、国狭槌尊とする説、天津彦根命(大縣主の祖神)とする説、少彦名命とする説、大荒田命(日本武尊の三世孫で迩波縣君の祖)とする説、武恵賀前命(神八井耳命の孫で迩波縣君の祖)とする説などがあり、はっきりしない。いずれにしても、「大縣大神は、尾張国開拓の祖神である」とされている。

Wikipedia「大縣神社」

上記の記述にある「少彦名命(=大縣大神)」は豊玉彦(豊斟渟命)の別名「天日鷲命」と同一神とされている。
つまり、小垣江神明神社の祭神「豊斟渟命」と「大懸命」は同神であることになる。

拝殿前から拝殿の東側に回ってみた。
回廊内には檜皮葺神明造の簡素な本殿が祀られていた。

小垣江町 小垣江神明神社 本殿

小垣江神明神社には多くの境内社が祀られていたが、小社は見当たらず、それぞれが人が出入りできる大きさの社殿として祀られていた。
主なものを以下に紹介する。

躯体がリニューアルされた境内社。

小垣江町 小垣江神明神社 境内社御嶽神社覆屋

軒下に「御嶽神社」の扁額。
祭神に関する表記は無かったが、三河だから「おんたけじんじゃ」だろう。
覆屋内中央に社が祀られていた。
御嶽神社の総本社(長野県木曽郡王滝村)の祭神は国常立尊(クニノトコタチ)、大己貴命(オオナムチ)、少彦名命となっている。

以下は住吉社。

小垣江町 小垣江神明神社 境内社住吉社覆屋

祭神は住吉三神「底筒男命・中筒男命・表筒男命」。
イザナギが禊祓を行った際に海中から出現した三神。

以下は荒神社。

小垣江町 小垣江神明神社 境内社荒神社覆屋

祭神は「奥津彦神・奥津姫神」。
ともに竈神(かまどがみ:台所の神)。

以下は水神社。

小垣江町 小垣江神明神社 境内社水神社覆屋

覆屋の柱に取り付けられた表札には祭神「岡象女神(ミツハノメ)」とある。
「岡象女神」とは『日本書紀』の表記で、その第二の一書では、イザナミが死ぬ間際に埴山媛神(ハニヤマヒメ)と罔象女神を生んだとしている。
『ホツマツタヱ』では「イサナミが、クマノで焼死する間際に生んだ水の神」としている。
覆屋内には以下の社が祀られていた。

小垣江町 小垣江神明神社 境内社水神社

社の右脇に立てかけてある札には以下のようにあった。

    手置帆負命(※タオキホオイ)
    屋船久久遅命(※ヤフネククノチ)
奉鎮祭 水神社殿一宇
    屋船宇氣姫命(※ヤフネウケフネ)
    彦狭知命(※ヒコサチ)

                           (※=山乃辺 注)

小垣江神明神社 境内社水神社 奉納御札

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碧南市は西端八剱神社(はっけんじんじゃ)のみ、高浜市はノンストップで、今回のレイラインの基点になっている本刈屋貝塚(もとかりやかいづか)のある刈谷市に入ってしまいました。


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