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【短編】日が昇る四畳半④

誰でもない誰かの話

③は、こちらから。


久しぶりに実家の玄関に鍵を通した。
玄関に、壁に人殺しって張り紙がたくさん貼ってある。こういうの、どういう気持ちで書いて貼るんだろう。理解できない負の感情。

玄関を開けて家に上がる。飾られた花が枯れて植物の死ぬ匂いがする。水っぽさを少し含んで臭い。花瓶を手にして台所に向かった。
枯れて腐った花をゴミ箱に捨てて濁った水を流しにあけた。臭い。花瓶を覗き込むと、水垢がこびりついていた。水道の水と食器用洗剤を流し込んで、流しを洗うスポンジでゴシゴシ擦った。
流しの三角コーナーのゴミは水分が抜けているのにどこから入ったか分からないショウジョウバエが取り囲んでいる。近所の人間たちと同じだ。頭に来てアルコールスプレーのスプレーを外して中身を全て三角コーナーにぶちまけてやった。ネットと金網をすり抜けて排水溝に流れていく。

こんな意味のないことしてもどうしようもない。

洗面所に行って手を洗った。ハンドソープを余分につけて。
洗濯物がドラム式の洗濯機に入ったままになっているのが見えて洗剤を注入口に入れてスタートボタンを押した。

東向きの四畳半の部屋。
襖を開けてみた。部屋がそのまま。おじいが吸っていたタバコの箱もそのまま置いてある。ライターも。父と母は、なぜおじいの娘を殺したんだろう。2歳の僕は、何をしていたんだろう。

リビングの方からガラスの割れる音がする。心のやり場のない人が、ここなら何をしても良いと決めつけて何かを投げつけたんだろう。外から、人殺し!と大声で叫ぶのが聞こえてきた。
「…ふざけんなよ」
ふと声が漏れた。
外野が騒ぐな。お前たちに関係ないだろ。
そんな怒りの気持ちが込み上げてくる。

おじいがよく座っていた場所に座ってみる。
考えてみればおじいに怒られたことが一度もなかった。他人だから、怒る理由もないけど。おじいの吸っていた、マルボロ。箱に残っている数本から1本出して火をつけてみた。肺に煙を入れる。
おじいがいなくなったのは10歳の頃。たばこの匂いでお爺と話したことを思い出す。

小学校1年の春。入学式が終わった後、おじいに教科書を自慢した。
「あきちゃんが楽しみなのはどれ?」
「こくご?…字、書くやつ。」
「字を覚えたら本をたくさん読むと良い。人の心の動きがたくさん書いてあるから、優しい人になれるよ。」
「んー、僕…本苦手。あんまわかんない。」
「おじいも一緒に読んであげるから持っておいで」
そう言って、その通りにまずは教科書に載っている物語から読解してくれた。文字が読めても内容を汲み取るのが苦手だった僕は、おじいの解説で納得することが多かった。
本以外にも分からないことはおじいに相談した。父や母に怒られてもその場で理解できず、泣きながらおじいの部屋に逃げ込んだ。その度におじいは理由を話してくれた。それが分かれば僕は納得できて、謝ることもできた。

僕は今、理解していないし納得していない。

タバコの灰を灰皿に落として、部屋を見渡した。おじいは、もしかしたらこの部屋に住むことで、父と母に罰を与えていたのかもしれない。浮浪者のふりをして近づいたと言っていた。
もし、父も母もおじいの正体を知っていて住まわせていたのだとしたら…。脅されて一緒に住むしかなかったのだとしたら…。

ドラム式洗濯機のアラームが鳴るのが洗面所から聞こえた。洗面所に行って、洗濯機から洗濯物を出して、2階に上がった。僕の部屋の隣が洗濯物を干す部屋だから。洗濯物を部屋干しにして部屋から出る。そういえば隣の部屋は、入ったことがなかった。西向きにドアがある。父が時々出入りしているのを見たことがあった。きっと父の部屋だったんだろう。…特に何もないだろう。
僕は、ドアノブに手をかけて、ドアを開けた。西陽で眩しいほどに部屋は照らされて観葉植物が窓の陽を浴びていた。机にはサボテンに多肉植物やアガベ。アガベは数種類。みっちりとあった。そういえば、父は観葉植物マニアだった。特に好きなのはサボテンだった。
一度、リビングでスーパーボールを飛ばして遊んでいたら、小さなサボテンの鉢に当たり、倒してしまったことがある。盛大に砂をぶちまけて父に怒られた時も、おじいがどうすれば良いのか一緒に考えてくれた。結論は、部屋ではスーパーボールで遊ばないと誓い謝って許してもらうで、それは正解だった。その後、父は父で、大事な観葉植物は全て僕の目につかない場所に隠してしまった。
それがこの部屋だったのかと申し訳ないが少し笑ってしまった。


実家から、おじいが吸っていたタバコとライターを持って出た。リビングには立ち寄らず、投げ込まれたであろうものはそのままにして。

父と母が、罪を犯すだろうか。人に恨まれるような人には思えない。何かの間違いなのではないかと思う。


僕の足が向かったのは警察署で、面会を申し入れると、母とだけ面会ができるという。父は取り調べ中だと教えてもらえた。
アクリル板の向こう側に現れた母。
「…秋芳。」
母の声は少し掠れていた。顔色は悪く目の下にくまがあった。
「ごめん。秋芳。」
僕の顔をまっすぐ見ながら謝る母。
「お母さん、……何があったの?」
「秋芳には……本当に申し訳なくて。」
「うん。」
「秋芳の本当のお母さんは、菜告さんて言って。」
「うん。」
「私たちが駆けつけた時にはもう、…たぶん亡くなっていて。」
「…え」
母の話を聞いていけば、菜告さんは交通事故に遭い、それは所謂ひき逃げで、父と母は事故現場を目撃した。
それは、夜10時ごろ。母は念願だった赤ちゃんをその日の昼に流産していて2人は五月町の病院から自宅に向い、国道4号線を父の運転する車で走っていた。数メートル後ろから煽り運転をしてきた車を避け追越車線に入ると、その車は、その先の信号が赤になっているにも関わらず猛スピードで直進。横断歩道を渡る親子連れをひき逃げし仙台方面へ走って行った。父と母は、近くに車を止め駆けつけるが、事故にあった菜告さんは腕や脚がちぎれ、顔の半分はわからなくなっていた。
菜告さんのそばに倒れていたのが僕で、僕はその時、頭を打って意識を失っていた。

「じゃあ、…殺してないってこと。」
「…でも私たち、その時通報してすぐ秋芳だけを連れてその場を離れてしまったの。」
「……え」
「私たち」
母が涙を流す。震える手で顔を抑えた。
「…子どもが欲しかったの。」

母は、ゆっくり話し続ける。
父と母は、僕を自分達の子どもと偽り、夜間救急へ連れて行った。僕は偶然にも保育園の通園鞄を持っていて、その中には、僕と保護者の名前の書かれた連絡ノートが入っていた。僕の名前を知るのは容易なことで、年齢も誕生日もすぐに確認できた。保険証こそないものの、診察を受けることはでき、僕は助かったのだ。

「ずっと、ずっと隠していてごめんなさい。菜告さんをひどい目に…見殺しにして…秋芳を誘拐した…。
こんな風に、あなたを苦しめてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
一生をかけてあなたを幸せにしたかった。だけど、こんなことをした私たちを、許してなんて言えない。ごめんなさい。ごめんなさい。
一生償います。ごめん。ごめんなさい。ごめんなさい。
秋芳。本当に…。」
肩を震わせて、俯いて鼻を啜り涙を流しながらごめんなさいとばかり謝る母を見て、僕は涙を堪えた。
抱きしめて、良いよ、大丈夫って言ってあげられないのが悔しい。許すも何も、父と母に大事にしてもらったんだ。僕は他人なのに、そうやって、18年家族でいてくれた。
「…お母さん。」
僕の呼ぶ声に母が顔をあげる。

「僕は、今だって幸せだよ。」
「秋芳…」
母は声を上げて僕の名前を呼びながら泣いた。


「ウチに帰んなくてごめん。お母さん。」
強がって、にっこり笑って見せた。本当は泣きたいけれど。ここで泣いたら、お母さんが泣き止んでしまうから。僕は、どんな背景があっても、父と母を恨むなんてできない。誘拐されてできた偽りの家族であっても、僕には大切な人たち。

「お父さんにも、僕は幸せだって言っておいてよ。でさ、また、集まれたらウチでお母さんが作ったご飯食べさせて。」

母は、ただ僕の話を聞きながら頷いて。
時間が来て、母は警察官に両手を縛られて立ち上がった。

「秋芳、ありがとう。」
涙目でも少しだけ笑ってくれた。
僕は、右手を挙げた。
「またね」

重い扉の奥に母が消えた。
僕は少し眺めて、少し泣いた。

日が昇る四畳半④
⑤に続く
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#きよひこさんのお写真お借りしました感謝

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