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息子が急性散在性脳脊髄炎になって倒れた話22

カウンセリングを終えて、帰路につく。

あの後、不安に感じていた部分を話し終えると、

入院患者本人へのケアももちろん必要であることや、治療の合間を見ながら本人の気持ちを吐き出す時間を作る予定だと説明してくれた。

ただ、一番安心出来るのはやはり家族との時間だということ、両親からも同じように時間を取ってあげるようアドバイスを受けた。

帰宅後、家族に長男の様子を伝える。

少しずつ、着実に回復している様子に喜びを分かち合った。

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長男が倒れて9日目。

この日からステロイドパルス療法の2クール目を開始した。

点滴でのステロイド投与はこの2クール目で最後で良いと思いますと言ってもらえた。

この日の面会時には、鼻につけていた二酸化炭素量の計測用のチューブも外れ、顔まわりにあった機材は全て卒業となった。

点滴や心拍を測るコードは残っていたが、見た目はとてもすっきりした。

と同時に、顔の細さが目立つように。

1週間寝たきりで食事が出来ないと、こんなにも変わるのか、と感じた瞬間だった。

それでもこの日の午前中にはプリンを食べ、午後も体調に変化が無ければ夕飯からはおかゆを食べる予定となっていた。

確実に前に進んでいる状況にホッとする。

午前中はリハビリを頑張って疲れたようで、面会開始時は昼寝をしていた。

どうやらリハビリでは、背もたれに寄りかからずに自分の筋力で座ることができたらしい。

「長男くん、面会の時間をとても楽しみにしていて、いつもママやパパが来るのを応援しながら待っているんですよ」

看護師さんが、微笑みながら教えてくれた。

『がんばれー、がんばれー!』

ベッドの上で一生懸命応援しながら待っている長男を想像して、愛おしい気持ちが膨らむ。

寝ている本人を見ながら、そっと頭を撫でた。

「このまま順調にいけば、2.3日で一般病棟に移れると思いますよ。」

「えっ!そうなんですか!」

看護師さんの言葉に、嬉しさと共に少しの不安も感じた。

脳波が落ち着いてきたと言っても、まだ発作的な波は来ているのかもしれない。

24時間常に人が巡回してくれているPICUと違って、一般病棟で突然同じような意識障害が起きたらどうなるのだろうか。

「…一般病棟であれば、付き添い入院可能でしょうか?」

PICUに運ばれた際にも付き添い入院を希望したが、感染症対策や治療最優先の環境の為、新型コロナウイルスの流行前から付き添いは出来ないことになっている、と説明を受けていた。

一般病棟は付き添い入院可能と、入院のしおりに書いてあったことを思い出し聞いてみる。

「うーん、ここはPICUの管轄なので、ここのことしかわからないんです。一般病棟に移ってから現場の看護師に聞いてみてくださいね。」

「そうなんですね…、ありがとうございます。またそのときに聞いてみますね。」

そんな会話を交わし、帰路についた。

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倒れた日から今まで、早く戻ってきて欲しい、少しでも良くなって欲しいと願い続けてきた。

回復を心から喜んでいるし、日に日に回復する様子に安堵している。それも事実だ。

だけれど、治療の進み方の速さに戸惑いを感じる瞬間もたしかにあった。

もちろん、PICUは救急医療の現場だ。

回復したと判断されればいつまでも病床を埋めていてはいけないだろうし、一般病棟で出来る治療も多くあるだろう。

けれど、長男は発症から意識障害、呼吸の停止と症状の進行が極端に早く、さらに『急性散在性脳脊髄炎』という診断名の症例で見ても重篤な事例と説明されていた。

最初に搬送された病院でも転院先でも同じ説明を受けていた為、そうなのだろうと思っていた。

発症当日まで普段と変わらず笑顔で過ごしていた長男。

そこからここまで10日間。

やっと生命の危機を乗り越えたばかりだ。

それでも『再発の可能性』という言葉は頭の中に常にあった。

自力で座るのがやっと。食事もまだ出来ていない。

そんな状況でも『仮定』を元に計測機器が減っていき、一般病棟へ移動、退院後…

もしも同じような発作を繰り返してしまったら。

今度こそ手遅れになることだって無いとは言えない。

予想していたよりどんどん早く進んでいく現状。

喜ばしいことなはずなのに、置いてきぼりにされた子供のような心細さを感じた。

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