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バターナッツかぼちゃのスープが食べたい9月。それは、苦しいけど楽しい9月。

はじめまして。あるいは、こんばんは。

前回の投稿が昔々ってくらいにあいてしまったけど、ここ1年はすごくすごく、濃密な時間を過ごしている。そんな日々に、少しだけ息つける気持ちになったので、ちょっとだけ書いておこうと思う。

私の9月1日の日記にはバターナッツかぼちゃのスープが食べたい、と書いてあった。それから、一瞬で9月半ば。何が起きたんだ・・・

ただいま東京

実は今年の6月、昔色々あった東京に戻ってきた。京都は大好きだけど、やっぱりやりたいことに忠実になったら、選んだ会社は東京だったのだ。前の会社も楽しかったけどね。今の会社は、面接のときからとてつもなくワクワクして、次の面接が待ち遠しかった。そんな会社に出会ってしまったら、もう行くしかない。私の足に重石など、元からついていなかった。

それからあれよあれよと部屋をきめ、必死に退職のための引き継ぎを終えて、京都に別れを告げた5月末。そこから一瞬で今って感じ。9月1日に食べたかったバターナッツかぼちゃは、今日のお昼のことだったかしら、って感じ。

そしていま、広報という自分が最も楽しくてこれをやりたい、と思えた仕事を、今もう一度自分の仕事としてやれている(どうにかやらせてもらえている)。こんなにハッピーなことはない。

これが本当のベンチャーか

入社して3日目くらいで、気づいてしまった。もう後戻りはできない、と。

今までベンチャー企業だと思っていたものとは、一線を画すスピード感だった。そして何より、みんな頭がいい。ただ頭がいいだけじゃなくて、手も足も頭もどんどん動かして、どんどん前に進んでいくのだ。そんなん、どうやったら追いつけるんだよ、と。最初にぶち当たった悩み。でも、頭がいい人たちってすごいのよ。彼らはどんどん進んでいくけど、こちらがこうしたい、ああしたい、って言うの否定しないのよ。ちゃんと足を止めて聞いて、ちゃんと意見をくれる。そして、ちゃんと形にすることまで見てくれて、フィードバックもくれる。

頭がいいだけじゃない。会社のこと、事業のこと、仕事仲間のことをちゃんと尊敬してくれる。

なんていいところに来てしまったんだ。

でも悔しい。できない、っていう悔しさをどう昇華するか。

久しぶりに感じる、このジリジリとした焦燥感。いい意味で焦る。

彼らと比較したらもう負け。

でもこの焦燥感は、嫌いじゃない。社会人1〜2年目ってこんな感じだったよな。大きな歩幅でどんどん走っていくお兄さんたちの後ろを、一生懸命追いかけてる感じ。追いつけないとわかってるけど、でも近づきたい。周回遅れになるものか。お願いだからせめて背中を見せていてくれ。

そんなきもち。もはや恋か。(いや、違う)

つまり、まだ昇華できていないのだけれど。昇華するためには進まねば。

「いつもあなたは走ってるよね」

そんなこんなでこないだ33になった私は、最近よく友人にこう言われる。

「そろそろ落ち着かないと」とも思うけれど、色々考えた20代後半〜30歳だったけど、、一周回って、今が楽しければいいかな、という着地点。だから私は走ってるように見えるのだと思う。毎日楽しんでるだけ。楽しいをただ探しているだけ。

ほんとは、良くも悪くも猪突猛進型なだけなんだけど。あるいは止まれないマグロか。

でもさ、楽しいはいつも苦しいを内包してる。その時はそれが辛いんだけど、より甘さを感じるには、少しの塩が効果的なのだ。それがないところには、「楽」はあるけど「楽しい」はない。

楽しちゃいけないって思ってるんだろうな。まあでも、それで良いと思ってる。

さて、そろそろ、9月1日の願望を果たそうか。

バターナッツかぼちゃをコトコトと。秋の色と秋の味。

走ってる(と言われる)私の休憩場所はいつもキッチン。美味しいものを作るために手を動かすと、沸騰していた頭が少しずつ整理されていく。普段ならそれでどうにかなるんだけど、最近なかなか整理できないことがあった。きっとこの3ヶ月ちょっと、がむしゃらに走ってキャパオーバーしていたのだなあ、と今気づく。

そんな日々を逡巡しながら、悔しかった、悲しかった、嬉しかったことを一つ一つ、それぞれ誰かの顔と一緒に思い出しながら、このコトコトと音を立てる鍋をぼーっと見ていたら、なんとなくどうしたらいいか見えてきたような気がする。

そうだな、これは次のお話にしよう。

まずはスープを、冷めないうちに。みなさん、良い秋の夜を。




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