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だれだって、傷のひとつやふたつくらい

こんばんは。あるいは、はじめまして。

 わたしはいま、京都に住みながら大阪で働き、時々単発で東京でも仕事をする、という生活をしています。本業では営業をしていますが、週末や隙間の時間で企業などのPRに関わるライティングやコンセプトづくりなどをお手伝いしています。

 ここに至るまでには、紆余曲折。というか、今考えてみれば、自分をすり減らし(からだは反比例)ながら、社会人という長い長い期間のはじまりを、東京という街で全力の全力で背伸びして楽しんできました。

でも、その代償が思わぬところでかえってきて、もうそろそろよいかな、と。(笑)気づいたら、学生時代を過ごした京都への新幹線に飛び乗っていました。

背伸びをすることは悪いことじゃない

 私が東京という街で過ごしたのは6年ほど。仕事はとてもハードで、でもとても楽しく、毎日充実していました。

今までまわりにいなかったような友人もたくさんでき、街にはキラキラしたものがあふれ、なんというか刺激が強かった。よくわからず、テキーラをきゅっと飲んで、ふわふわしている感じ。それに追い打ちをかけてさらにテキーラあおってる感じ。(笑)

今までしらなかった自分を見つけたようでワクワクしていたし、それが大人になったということだ、と信じて疑いませんでした。

あの時は、別にそれでもよかったと思う。

毎日楽しいし、新しい刺激を私も求めていたし、とりあえずおのぼりさんで世間をみることができたし、少し背伸びしたら手の届くところにあると知れました。

本当はわかっていたのに、できなかったこと

それは、ひとにあわせる必要なんかないってこと。

いなかの娘があこがれた「東京の女の子」は、いつもいい匂いがして、きれいでおしゃれで、スマートで。そんな子が本当にいて、一緒にいるには同じでなくちゃいけない、と思ってしまった。そんなことしなくてよかったのに。

気づいたら何かにつけて、その子や自分のつくった「東京の女の子」と自分を比較してその差を埋めようとしていました。でも、その差が埋まらないことへの焦りは、ストレスというものに形をかえて、キリキリと自分を責め立てていて。

そんな時はきまって、無意識にデパートの化粧品売り場にいて、欲しくもないものを手に取りながら、美容部員さんの歯の浮くようなお世辞や誉め言葉で自分を癒した気になって、必死に取り繕っていました。

そうするうちにカードの限度額はどんどん上がって、それをステータスだと勘違いして、また使ってのサイクル。まあ、あとはご想像の通り。(笑)

あの時はいていた靴は、今も忘れない

「ああ、あと一歩前に踏み出したら私は楽になる。」

会社へ向かう駅のホームで、その時履いていた靴をじっと見つめて、踏み出して落ちていく自分を想像しながら、やっと私は気づけたのです。

背伸びをして、新しい世界を体験してみるのは大事。でも自分を自分で否定したりけなしたりして無理をするのはいらない。

シンデレラの魔法が解けた瞬間ってきっとこんな感じだったに違いない。

ちょっとの名残と、日々に戻る覚悟。「さて、私の進むべき道は?」と。

私が、ガラスの靴の代わりに手にしたのは、自分がどうしたいかは自分に聞けばいいということ。そうしたら、おのずとと何がしたいか、どこに住みたいか、誰といたいか、するするでてきて、あっという間に京都へ。

この話を笑ってできるようになるまで、3年かかりました。

でも東京で付けた傷は確実に自分を強くした。そして今、自分の人生を肯定する最大の材料になっているのです。

傷つくのを恐れなくなったのは、きっとあの時の靴のおかげ。(そしてカードの明細のおかげ)

そう思いながら、あの時傷と一緒に付けたお肉との闘いはまだまだ続きます。

ということで、今年は、ぼちぼち自分がたりや思ったことをつづりながらnoteを更新していこうと思います。

それでは、みなさまごきげんよう!

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