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「まの。」という人間

自己紹介的なものです。
今さら自己紹介かい!って感じですが、どうぞお付き合いを。

先日、こんなツイートをした。

ここから、私自身のアイデンティティとかそういうものを掘り起こしてみようと思った次第。ちゃんと内面を吐き出したことがなかったので、この機会に出してみようかと。そういうことです。


生まれは北海道の砂川市。とはいうものの、1歳半くらいまでしか住んでいなかったので記憶はない。ただ、砂川には行く機会が多く、小学生の頃は「ここが住んでた家だよ」とか、「生まれた病院はここ」とか、しょっちゅう寄ってもらった。というか連れて行ってくれた。だもんで愛着のある街の一つである。


育ちは札幌市。市内でも2箇所に住んでいた。
物心ついてから小学校卒業までは手稲区で暮らした。まだテイネオリンピアが遊園地営業をしていた頃である。ちっちゃいときから家族でのレジャーはこの遊園地か銭函の海だった。フィルムやパソコンのデータには、遊園地や小樽ドリームビーチで楽しんでいる写真が多く残っている。

とっても楽しかったんだよな、遊園地。夏休みはほぼ毎週のように手稲山に行っていた。一人でゴーカートに乗りたくて、早く背が伸びないかとうずうずしたり、恐竜をテーマにしたエリアの「ふわふわたまご(バルーン状の遊具でトランポリンとか滑り台として遊べるもの)」でずっと遊んでいたり。そうそう、リフトに初めて乗ったのもこの遊園地だった。だから、小学校のスキー授業で冬の手稲山に初めて行ったときは、いつもの遊園地とは景色が違って新鮮だったのを覚えている。

銭函の海は、私にとっては海水浴というより砂遊びをするところだった。小学校に入る前までは海に入ることもあったけど、小学校に上がってからというもの、ほとんど海に入ったことがない。秋口の、人がいない夕方の海に家族で繰りだして行っては、砂浜に絵を描いたり、貝殻を拾ったり、波打ち際で押し寄せる波と追いかけっこをしたりしていた。今回のアイキャッチも銭函で撮影したものだ。

このツイートの背景にあるのは、こうした小学校時代の思い出が反映されている。山は遊びに行くところだったけど、それは「山で遊んでいる」というより「施設に行って遊んでいる」というものだった。なので、山に対しては個人的に風景としての意味合いが強い。毎日のように手稲山を見ては、「今日は電波塔までよく見える」とか、「今日は真っ白だからかなり雪が降ってるんだろうな」とか思っていた。だから、山という存在そのものを風景として享受しているのである。

対して、海は遊びに行くところであった。ただ、海水浴ではなく「砂浜を楽しむところ」だった。そのため、海そのものは山と同じように風景となっている。では、山との差は何かというと、「夕方」という時間帯の魔力と、東日本大震災の影響がある。震災と私個人との関係は前回の記事を参照してもらいたい。

特に、三陸の海は今の風景と10年前の風景とのギャップにクラクラする。「自然はときに残酷である」というその事実に、嫌でも向き合わされる。


さて、話を進める。
中学校入学のタイミングで厚別区に引っ越した。そこから、大学進学で親元を離れるまでずっと厚別である。最初は手稲への執着と、新たな人間関係で大きく感情が揺さぶられた。物書きを始めたのもこの頃である。中学3年の時、40分ほどのステージ発表の脚本を手がけた。その作品を書き起こしたいと思ってはいるのだが、小説として書くに当たって上手くキャストが動いてくれず、行き詰まったままである。

こうした中学生活を通して初めて、自分は依存体質であると気づかされた。常に居場所を求め続け、何か拠り所にしているものがないとしんどい。このおかげで多くの人を振り回した。私に対していい印象を持っていない人も多いだろう。本当に申し訳ないことをした。

結果として、中学校内では最後まで居場所は見つからなかった。見つけたと思っていた場所も、卒業後にあえなく崩れさった。ただ、高校受験に向けて通っていた塾のクラスだけは、唯一落ち着く場所だった。

高校はコミュニティの外へ出た。人間関係で苦しめられることはなかったが、依存体質は引きずったままだった。性格はそう簡単に変わるものではない。確実に迷惑をかけた人、あなたには個人的に謝りたいと思っている。ただ、あなたは謝罪を求めているわけではないだろう。だから、直接押しかけるということはしない。あなたが今、幸せに暮らしているのならそれでいい。他の人に対しても、気づかぬうちに振り回していたかもしれない。もし迷惑をかけていたのなら申し訳ない。

もし神さまがいるのであれば、迷惑をかけた方々とはもう二度と住む世界が交わらないようにお願いしたい。それがせめてもの償いである。あなたはあなたの世界で、苦しむことなく生きていてほしい。できることなら、あなたの記憶から私の存在を消し去ってほしい。ものすごく身勝手な願いなのは百も承知である。苦しむのは私だけでいい。


さて、最初に引用したツイートに出てきた場所のうち、ここでまだ触れていない場所、それがオホーツクである。オホーツクは母方の実家があるところであり、中学までは毎夏のように顔を出していた。砂川に行く機会が多かったのも、この通り道だったからである。

話は少し変わるが、小学4年の時、ひょんなことから「道の駅スタンプラリー帳」を入手した。ここから道の駅塗りの趣味が始まった。札幌とオホーツクを毎年のように移動していたことから元々旅行は好きだったし、地図を見るのも好きだったし、移動中に市町村界を超えようもんならカントリーサインを探し、一人でテンションが上がったりしているような子どもだった。これが、スタンプ帳により一気に火が付いた。

移動の途中に寄れそうな道の駅があれば、お願いして通ってもらうということを繰り返しているうち、両親まで道の駅優先でルートを決めるようになった。オホーツクに遊びに行けば、祖父にお願いして毎日のように道の駅巡りをし、おんねゆ温泉以外のオホーツク管内の全道の駅を巡った(おんねゆ温泉は母に頼んで行った)。そうしてオホーツク中を走り回ったため、住んでみたいと思う地域になった。


現在は仙台市で暮らしているわけだが、東北に出てからどんどん北海道への想いが募っているように感じる。離れてみて良さに気づいたというやつだ。アイヌ文化に強く惹かれるようになったのも東北に来てからだ(元々興味はあった)。将来は北海道のために働きたいと思っている。

先の春休みに、北海道フリーパスを利用して一人で道内を巡った。帯広や根室など行ったことのない場所にも行けたが、道北を全スルーするなど悔いも残った。このあたりの話は、いずれブログで書こうと思っているのでお楽しみに。


それでは今回はこの辺で。
こんな人間ではありますが、今後もよろしくしていただけると嬉しいです。

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