ぼくの機嫌はぼくがとる
これが出来ることは大人と思う。
そして、他人に機嫌を取らせて取り乱している大人がいても「ま。そういう人もいますわ。」といって素通りできる人もまた大人だと思う。
人の本性は 何もかもほっぽり出して、飯も食って満たされて、好きなもん買って満たされて 睡眠とって満たされて余裕のあるときに出る部分が本性、なんて思う。
その時に「やっぱりあのときあのアレはこう思う」と考えた時が本音だったりするので、ホントのこと、などと思ったのだ。
だとしても、機嫌の善し悪しが常に上下してる人は あげてくれる人がいるわけで、他人に左右されている。ぶれて欲しくないが、その「他人」に自分がなってる場合もあり。。
上下している自覚があって、悪かったなと思える人は僕はとやかく言わない。しかし自覚がない人は、自己肯定感があるように見えるが、実はそこまでなく、他人軸で生きている人 と思う。
振り回されやすい人はよく「優しいね」って言われる人とも思う。都合がいいから。その場にいるし、笑いかけてくれるし 何となく話しやすい。それだけで条件が揃ってしまう。他人の目を気にしやすい、も含まれている。僕は振り回され安い側に生きている。
家族の中にそのタイプがいるとなんてこったい。
大変なことになる。大荒れだ。
え。台風ですか。どしたんですか。突風ですか。
竜巻注意報、警戒警報発令。警戒警報発令。
自宅に帰れば泣き縋られ、その日に起きたことや周辺の出来事を報告、最後に話の順序によっては怒り出す。十分に話を聞いているが、体調によっては視線の揺らぎでも機嫌が悪くなる。
だーれもそんなこっちゃ言ってねえべ???ってはなしも盛りに盛られ、刺身の盛り合わせ位ある。答えられないでいると、鯛の姿焼きまで着いてくる。おいおいおいおい、と戸惑っていると、今度は コース料理まで用意されてきて 落ち着くまで1.5時間から2時間くらいかかる。
そういったことが家庭内にありながら、友人や知人まで含めると数人。
何故こんなことになるのかと言うと私に性質があるからかと思う。
もっと、何が起きても「ま。そういう大人もいますよね。」と素通りできる大人になりたい。
多くの人たちと交友関係を築くにあたって、「私を見てくれなくなった!」というセリフをよく聞くようになってしまった。100人いて100人同じ仲の良さを保ち続けるのは難しい。関係に名前をつけて、割り振り 濃さを分けることしか出来ない。
濃さを分類していることに、さらに仲良くしてくれていた人、良くしてくれている人をまた分けていくことに罪悪感を感じるが、そこに激重感情を付随させると一気に苦しくなってしまう。
これからの課題だなと思う。
では、また。
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