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人の形をした何かに見える話。

僕は前提として、人は嫌いじゃない。好きでもない。
僕は色が見える。視覚的にはっきり見えるわけじゃなくて頭の中で見えている。

一対一であれば人の中の色を見ることができるのに、複数人になってしまうと人の中に潜って見ている色が混色になり、どんどん混ざり合って訳がわかんなくなってしまうのだ。
そしてついには、人の形をした何かを見ながら、人っぽい話し方をする、人みたいな形の変なものと話している気になってくる。大袈裟かと思うだろうが本当なのだ。

僕は人の色を見て話をしている。
話の中の感情に色がついていて、あるいは状況として多忙を極めていると酷い色になるし、人から人に対する羨望や嫉妬、憎悪や 嫌悪そういったものは、針のように突き刺さる。

恍惚、喜びに満ち溢れていればそれはそれはキラッキラである。綺麗な色であれば虹を見ているかのよう。

混合した色になればなるほど感情が深いのだと理解する。
自分は色で理解しているからみんなわかるものだと思っていたが心理学を学んでから、実はそうではないらしい。色は見えていないようだし、感情を理解して深さは二の次のようだ。

自分には色が見えているために情報が多すぎたのだ。幼い頃からぼーっとしてる子、と言われていたが周りの色を見ていたのだ、と今更ながら思い出す。

その人全体が放つ色と、経験から得られてきた色の薄さや濃さにめまいがして時々人間をやめたくなる。なんて複雑なのだろうと。
来世は世話をたくさんしてくれるおうちの猫になりたい。

時々僕は思う。
あまりにも、濃い色で心配になるのが、「攻撃性」と、「共感」「同調」が合わさった時。

「自分も辛い思いをしているのだから、お前も辛い思いを体感しろ」になる思考の人がいるという意味だ。自己承認があまりにも薄くて、他人で補おうとすると起きる事象だ。あるいは自分で、他人を「攻撃の色」で薄くして(不安にさせて)から「僕(この場合他人)がいるから大丈夫」と信頼の色を被せてくる人。
これは自己愛が強すぎる。他人と自分の境がない、と僕は思う。速攻離れるべきだ。

悪く言ってるわけではない。僕が経験をした中で「人の形をした何か」と話している感覚になっている、過去も、今も。現在進行形で、っという。

みなさんは何を見ながら話をしているんだろう。
何を考えながら話し、聞いてる?

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