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とある地方国立大学生との対話(最終回)~すべての就活生へ~

地方国立大学というと、どんなイメージがあるだろうか?真面目、堅実、親孝行、公務員志望などなど。比較的に穏やかな印象を私は持っていた。生まれ育った石川県には、北陸の雄である「金沢大学」がある。お隣の富山県や福井県にも国立大学はあるが、加賀百万石の名残なのか、金沢大学は、北陸の中でも常に憧れの存在だった。
母親の親族が、ほぼすべて学校の先生であった影響から、私は幼いころから金沢大学を卒業し、先生になるのだろうと、誰に言われるもなく感じていた。そして普通にセンター試験を受験し、誰もが憧れる「きんだい」※石川県では金沢大学のことを、愛着を込めて「きんだい」という。関西では近畿大学のことになるね。を目指して高校2年を迎えた。
ひとつ年上の兄も、当然にそのルートを歩んでいたのだが、あろうことか、彼は当時の恩師の影響もあり、京都の私立大学へ指定校推薦で入学することになった。(関関同立ってやつ) 

かなり驚きだった。

常に私より一歩先を歩む兄が、京都の華やかな大学に行く。彼は彼なりに考えた結果なのだろうが、私は衝撃を受けた。そして兄の進学する大学を調べまくった。当時はインターネットなどない時代。高校の進学準備室の資料や、先輩の「大学体験談」などを読み漁った。そして高校3年のときに、実際に兄が住む京都まで出向き、兄の通う大学も訪問してきた。

金沢にない香り。京都の雅さ。そしてなにより、きらきらした学生がキャンパスライフをエンジョイしている。。。。そこには父母の幻影もなく、自由があった。

なによりも、兄の変容・・・ カラオケで「太陽こまち」を歌う兄を見て京都の大学はこれほど人を変えるのかと絶句した。

結果的に私は兄と同じ大学に通うことになったのだが、両親には大変な経済的負担をかけたが、金沢大学に行かなくてよかったと、今は思う。

ただ、その結果、郷里石川に対する愛は、日増しに深まり、実家に帰省するたびに金沢の名所を訪れる生活を10年以上継続してきた。SNSのおかげで能登の仲間とも深い交流ができるようになった。
すべてはうまくいっているのだ。

ストーリーを考えるとき、人は未来志向になる。誰かに何かを伝えたいと思うとき、過去のできことは、いかようにも味付けできるし、仕立て直すことができる。これを自由というのだろう。

上記、私の話は、事実ではあるがやはり私の色に染まっている。金沢大学の方が読まれると、気分を害するかもしれないが、今、この時点で私が感じていることをストーリーにすると、上記以上でも以下でもない。

とある地方国立大学との出会いは、本当に多くのことを考えさせてくれた。ととも、人が人であるには、やはり対話が大事なんだなと気づかせてくれた。
そしてその方の自己実現と、自己一致に少しでもお役に立てたのならば生きていてよかったと思う。

よっしー ありがとう。

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