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シンクロニシティ!ライト☆ワークの道! 神のRPG①

霊能者も宗教も解決できなかった問題を解決してくれた従妹の親友の
専業主婦真理さんでした。
私は、神も霊も感じない解らない税理士で、ムー民でゲームオタクでも
ある。
※ムー民とは、雑誌ムーの読者
 今日は、ムー民の妄想です。

皆さん、ゲームのジャンルで、RPGをご存知ですか?
ロール・プレイング・ゲーム 役割を演じるゲームとでも訳すのでしょうか?

プレイヤーが、登場人物を操作して、架空の与えられた世界で試練を乗り
越えて成長し、目的を達成していく。

ゲームのドラクエや、FFに見られるファンダジーやどうぶつの森、牧場物語
マリオも、ときめもも広い意味でRPGです。

私は、FF7やアークザラットや、グランディア、サクラ大戦も好きでした。
自分が育てたキャラクターが成長、発展、達成する姿に自分を重ねて何とも言えない感動と充実を感じる。

この歓喜が神仏の歓喜と似ているのだと思います。
肉体の無い神仏は、ある目的で肉体を持つ人と、共同創造をこの世界で意図する。
人の魂は、神仏の一部であると言います。

一霊四魂と言われます。
人が神仏と相互依存の下で、開運、成長、発展し、己のカルマを超えて自己実現をして、世の為に人の為に生きられれば、地球の波動自体が上がる。

これが神の意志だと言う。
喜びなのだと言います。
逆に邪は人が不幸になるのが喜びなのです。

この世は、神と人のRPGの様なものなのかもしれない。
RPGには、主観と客観モードの二種類があり、ドラクエは主観モードで
FFは客観モード。
この世で人は、主観モードで生きている。

自分の姿は直接自分で見れない。
一方客観モードは、キャラクターの直ぐ近くに視点がある。
これが、守護神、守護霊の視点ではなかろうか。

ゲームは、キャラクターは人が選ぶが、キャラクターを使うと言う、キャラクターが、使い手を選ぶことはできない。
※当り前か。

これは、この世でも同じで人は神仏を使うことは出来きない。
基本、神仏と人が、その波動で共鳴し、引き合います。

ただし、ゲームとこの世の差は人には意志がある。
この世RPGは、人が世の為人の為に生きたいと発露した場合、それに応じた
神仏の加護が受けられる。

あくまでも、神仏と人の共同作業・共同創造なのです。
ここをカン違いして、「神仏を都合よく使おうとする」は大間違いです。

真理さんは、面白いことに、人の成長につれて守護する神々も交代すると言う。
人の意志、志次第なのだ。

                              つづく

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