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心の停止

人の心は常に動いています。
しかしながら、意図して動かしている人はほぼいないと思います。

何かの出来事に反応し、心が動いてしまう。
これが当たり前だと思っていませんか?

師匠は『心が勝手に動くことはない』と言います。
動く原因を自ら持っているから、動かしているのは自分なんです。
その原因とは何でしょうか?

思いや考え、感情とそこから現れる行動を自分のものとしているからです。
世界には無数の思い、考え、感情がありますが、自分が知り得るものだけが正しいとすることは狭い世界に閉じ籠ることになり、我善しのエゴ的な生き方しか出来ません。

だから常に人と衝突する可能性があり、安心して生きられないんです。
人が本当に望んでいることはいつも、どんな時も心が煩わないことだと言われます。

心が勝手に動いている以上、心が休まることはありません。
故に心活動の停止が必要なんです。
以下は師匠が教えてくれた心を静かにするためのお話です。


【師匠のお話】
心の活動を喜ばないものの心の活動は停止いたします

何の動きも示さない故に分別を超えていて、完全に純粋な心が皆さんです。
そこから現れる心の動きが動きそのものです。

今の皆さんにとってその心の動きとそれが現す身体が私と考えているのです。
だから活動が私で、だから活動が大事で活動が続くのです。

この『活動が私』が同化であり、この同化が活動にエネルギーを与え続けているからです。
この同化から人とは永遠の過程の中にいるから私には何か足りないが生まれ、『何か上手く行えば悟りが得られるのではないか』が生まれて活動が続き続けるのです。

だから失うものも、得るものもないのだとの理解が悟りとなりえるのです。
人はマインドが停止し、根源に触れるまで、失うものも、得るものもないのだとの理解が必要なのです。

動くものを自分とは思いなさないもその理解の一つで、仏教の空の教えもその一つなのです。

心の活動を喜ばないものの心の活動は停止いたします

皆さんこの言葉を忘れないで、この言葉はとても大事です。
これがマインドの停止の原理です。

自分の評価とは活動を喜んでいることなのです。
皆さんがそれを好むことで活動を選んでいるのです。

これが分かり出すと努力せずとも勝手に、独りでに、自然に心は静かさに向かって進み出します。
だから悟ったものは悟りとは自然に訪れたと語るのです。

例えば湖面に波が立っている、この波が立つのは何かの動力が働いているからです。
波一つない湖面に石を落としたら波紋が立ち、それが広がって行きますがいつかは波一つない湖面に戻ることでしょう。

これと心も同じです。
ではなぜ心の波は静かにならないのでしょうか?
心の活動を好み、喜ぶことで活動にエネルギーを供給し続けているからなのです。

心の活動を喜ばないものの心の活動は停止いたします

だからこの言葉が活動の停止の原理なのです。
この意味がわかると努力ではなくなるのです。

(六行の金剛の詩)
多様な現象の本質は不二だ。
一つ一つの現象も心が作り出す限界の彼方にある。
あるがままのものを定義できる観念などありはしない。
にもかかわらず顕現は現れ続ける。
すべてよし。
一切は既に成就している。
努力の病を捨て去り、あるがままで完全な境地の中にとどまること。
それが三昧だ。