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記憶を超越する方法

私たち人間は記憶にそって生きています。

思考、感情は記憶を元に生まれる故に人間は記憶に支配されていると言えます。

実際に人は記憶を通してしか物事を見れないので記憶以外の思考判断が出来ません。

そして記憶とは過去であり、変えられないものだから人の思考、感情も思い通りにならないことになります。

皆さんが記憶を自分と見なしているのであれば、これは真実になります。

ですが皆さんは記憶を対象として客観視することが出来ます。

客観視することが出来る以上、記憶は客体であり、主体ではありません。

主体でない以上、記憶は私とはなり得ません。

記憶を知るもの、見ているものがあなたであり、主体です。

記憶を見ている立場ゆえに記憶に従う、従わないを選ぶ自由があります。

長い年月、記憶を自分とすることで強固な癖になっていますが所詮、癖なので正すことが可能です。

記憶をただ見る(気づく)という習慣で正すことが出来ます。

ただ見る、を続けることで自分と記憶に距離が生まれてきます。

距離が生まれることは客体である、自分ではない証拠です。

距離を感じる体験を繰り返すことで、記憶に影響を受けにくくなってきます。

記憶に影響を受けなくなるほど心は静かになり、勝手に動かなくなってきます。

これが思考、感情が思い通りになるということです。

以下は『記憶を超越するにはどうすればよいか?』の質問に対する師匠の教えです。


【師匠の教え】
俊和さんは隣の家の誰かの潜在意識にある記憶を超越する必要がありますか?

他の人の記憶を超越する必要はありませんね。

まずこの質問は、潜在意識の中にある自分の記憶をどのように超越するか、自分の記憶だから超越が必要だと思うわけですね。

要するに記憶の中にあるどこどこの何々が私と言う記憶で、それを超越したいと言うわけですね。

さてお答えいたします。

昨日貴方は何を食べましたか?

何かを食べたこと、または食べなかったことを記憶していますね。

なぜ記憶しているのです。

食べたか食べないことに気づいていたからですね。

では食べたのが貴方ですか?

食べたと言うことに気づいていたのが貴方ではありませんか?

もし食べたことに気づいていなければ、食べたことを知らないはずです。

食べたのが貴方ではありません。

食べたことに気づいていたのが貴方なのです。

今この場で『あー』と声を出して御覧なさい。

『あー』と声を出しましたか?

では、その声を出したのが貴方ですか?

その声を耳で聞いたのが貴方ですか?

声を出したのが貴方ではありません。

耳で声を聞いたのも貴方ではありません。

何が貴方でしょう。

声を出したことに気づいていたのが貴方で、耳で聞いたことに気づいていたのが貴方です。

ですから音を出したのも、耳で聞いたものも貴方ではありません。

それに気づいていたものが貴方なのです。

記憶とは出したものと聞いたものの記憶ですね。

ならその記憶は貴方の記憶ではなく、誰かの記憶だから、どこかの誰かの記憶が邪魔になるはずはなく、超越する必要もないはずです。

これを超越と言うのです。

何を食べてどんな味がしたか、食べたものが貴方ではなく、食べたこと、感じた味に気づいていたものが貴方なのです。

気づきとは今にしかありません

だから気づきには記憶がないのです。

何かの記憶を思い出してごらん、思い出しましたか、その記憶に気づいているものが主体である貴方であり、記憶とは対象なのです。

だから貴方の記憶ではないのです。

今回お話したことで大事なところは食べたり飲んだりしているものが貴方ではない。

食べた、飲んだと気づいているものが貴方であるということです。

だから貴方は記憶の中のどこどこの誰々ではなく、それは貴方の記憶ですらないと言うことなのです。