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エッセイ『書きたいことを書いていれば、時代がついてくる』

あんまりはっきりショートショートは小説でも文学でも芸術でもないと言い切ってしまって、ショートショートを書いていらっしゃる方からコメントを頂いてしまいました。いつもお騒がせですみません。

じゃあ芸術ってなんだろう、と言った場合に、私がいつも考えるのは、なぜか日本で非常に人気のある、Egon Schiele。彼の芸術は、子供と十代の男女に対する、大変性的な、ポルノグラフィックな執着ですよね。

彼の絵を金を払って観に行く癖に、隣の親父はロリコンで気持ち悪い、と言っているのは、非常に間違っている。

ちゃんと映画になっている。Egon Schieleは、ポルノグラッフィクな絵を描いて、モデルがあんまり若いから、裁判所で絵も燃やされているし、投獄もされている。


芸術
とは、アンモラルで偏執狂的なもの。芥川龍之介の「不安だ、不安だ、死にたい、死にたい」というのも、太宰治の「心中したい、心中したい」というのも、三島由紀夫の「切腹したい、切腹したい」というのも、全てアンモラルで偏執狂的なものだった。

十代の男性を性的に虐待するのは許せない、と言っておきながら、その子達のコンサートを大金を払って観に行く、というのは非常に間違っている。芸能というものにもやはり、アンモラルで偏執狂的なものが付き纏う。

Egon Schieleの不道徳さを理解しないで絵の評価をするのは間違いだし、若い男性への性的興味を理解しないでコンサートに行くのも大きな間違いだ。


Egon Schieleの子供、少年、少女に対する不道徳で芸術的な興味に付いては、この動画が一番分かり易いと思う。学術的に分析している。

https://www.youtube.com/watch?v=7_eAGX6qfYg


私はネットに溢れる幼女の気持ち悪いアニメ画がマジで気持ち悪くて嫌いだけども、幼児、幼女を愛することは、病気だとされるのは知っているけれども、私は病気ではないと思う。性的志向の一つにされるべきだと思う。幼女を愛する大人が溢れている日本の文化に、ちゃんとした指針がないことが間違っている。


かなり最近の話だけれども、ある小説が原作となって、それが映画になった。内容は幼女を愛する男性主人公が、どんなに社会から迫害され、追い詰められ、人生を失っていくか、を描いた作品だった。それは主人公側から、同情的に描かれていたけれども、幼児を愛する性癖を持っているだけのために、あそこまで迫害される場面を見せ付けることで、どれだけの人間が傷付いて、これからの人生に絶望したか、考えてみるといい。非常に差別的で、誰も指摘しないのが不思議だ。


芸術というものは美しいものでは全くない。自分の言いたいことを正直に書く、それだけだと思う。人のことは考えない、自分のことしか考えない、言いたいことを言う。なんでそれがそんなに大変なことなのか、私には全く理解できない。

芥川龍之介が自殺した時、妻子のことをどれだけ考えていたかは知らないけれども、妻子を残してさっさと死ぬのは道徳的に間違っている。でも彼は素晴らしい芸術家だった。


この動画で私の言いたいことは全部言っているので観てください。

誰も言わない小説創作論 ③一体小説をなんだと思って書いているのか?

00:00 表紙
00:05 社会で発言できる作家になろう
03:18 書きたいことを書いていれば、時代がついてくる
05:40 文豪の作品を読もう。人の人生を変えるほどの小説
08:20 文学はジャンルで分けるものではない
12:34 小説は趣味で書くものではない。芸術は趣味ではない
16:06 文学作品はちょっと勉強すれば絶対書ける


結局、芸術の定義が間違っているから、芸術の要素の全くない小説が溢れかえっている。お互いに読んで、思ったことを正直に言ってあげよう。貴方の書いたものは面白いけど、それは小説じゃないよ。なぜなら、小説には芸術の要素がなければいけない。それじゃあ小説じゃない、ただの物語だよ。


小説らしい書き方って? 小説は物語じゃないんだ。


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