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『8、英語で小説を書こう! きっと誰かが読んでくれる。百年経っても読まれる小説の書き方』

まず言語を翻訳することが、いかに難しいか、ということを考えてみよう。

私がカナダに移住した年、同僚に「日本語でGood morningって何て言うの?」と聞かれ「お早うございますって言うんだよ」と答えると、彼に「じゃあ、どの部分がGoodでどの部分がMorningなの?」と聞かれた。

ほらね、言語ってやっぱり難しい。でも面白い。

『不思議の国のアリス』の冒頭。三人の翻訳者がどう書いたか比べてみよう。

Alice's Adventures Under Ground/Chapter 1
Alice was beginning to get very tired of sitting by her sister on the bank, and of having nothing to do: once or twice she had peeped into the book her sister was reading, but it had no pictures or conversations in it, and where is the use of a book, thought Alice, without pictures or conversations? So she was considering in her own mind, (as well as she could, for the hot day made her feel very sleepy and stupid,) whether the pleasure of making a daisy-chain would be worth the trouble of getting up and picking the daisies, when suddenly a white rabbit with pink eyes ran close by her.

Wikisourceより

翻訳で不自然な部分を太線にしてみた。

ChatGPT
アリスは、姉の傍らで座っているのにとても飽きてきて、何もすることがないことに非常にうんざりしてきていました。1、2度、姉が読んでいる本をちらりと見てみたことがありましたが、それには絵や会話がなく、アリスは、「絵や会話のない本なんて、何の役にも立たないわ」と思っていました。だから、アリスは自分の頭の中で考えていました(暑い日のため、非常に眠くて愚かな感じがしていました)。フランスギクを作る喜びが、立ち上がってフランスギクを摘む手間に値するかどうかを考えていました。そのとき、突然、白いウサギがピンクの目をして近くを走っていきました。

ChatGPT

Google Translate
アリスは、川岸で姉のそばに座り、何もすることがないことに、だんだん飽き始めていました。姉が読んでいる本を一度か二度覗いたことがありますが、そこには絵も会話もありませんでした。絵も会話もなければ、本なんて何の役に立つのでしょう、とアリスは思いました。そこで、彼女は心の中で(暑い日でとても眠くて頭がぼーっとしていたので、できる限り)、起き上がってヒナギクを摘む手間をかけるよりも、ヒナギクの花輪を作る楽しみのほうが価値があるかどうか考えていました。すると突然、ピンクの目をした白いウサギが彼女のすぐそばを走り抜けていきました。

Google Translate

千本松由季
アリスは川辺でお姉さんと一緒になにもしないで座っているのにとても飽きてきました。そして一回か二回、お姉さんの読んでいる本をこっそり覗きました。でも本には絵もカギ括弧もなくて、それじゃあ本とは言えないと思いました。絵もカギ括弧もないなんて? アリスはじっくり考えました。(それはそうと、こんな暑い日に彼女は眠くて馬鹿みたいな気持ちになりました)。デイジーの花輪を作るために起き上がってデイジーを取りに行こうかな、と考えていたら、白いウサギで目がピンクの奴がすごく近くを走って行きました。

ChatGPTの翻訳はどうか?
「川辺」にいるという大事な情報が完全に抜けている。不自然な、まだるっこしい言葉が多い。

Google Translateの翻訳はどうか?
made her feel very sleepy and stupidを「とても眠くて頭がぼーっとしていたので」と訳したのが素晴らしい。私はそこまで考えていなかった。Google Translate、意外と才能ありますね。結構びっくりした。


最後の三行、この一番難しい部分の翻訳を、三人がどう書いたか比べてみよう。

whether the pleasure of making a daisy-chain would be worth the trouble of getting up and picking the daisies, when suddenly a white rabbit with pink eyes ran close by her.

原文Wikisourceより

フランスギクを作る喜びが、立ち上がってフランスギクを摘む手間に値するかどうかを考えていました。そのとき、突然、白いウサギがピンクの目をして近くを走っていきました。

ChatGPT

起き上がってヒナギクを摘む手間をかけるよりも、ヒナギクの花輪を作る楽しみのほうが価値があるかどうか考えていました。すると突然、ピンクの目をした白いウサギが彼女のすぐそばを走り抜けていきました。

Google Translate

デイジーの花輪を作るために起き上がってデイジーを取りに行こうかな、と考えていたら、白いウサギで目がピンクの奴がすごく近くを走って行きました。

千本松由季

太線部分の、ChatGPTの「手間に値するかどうか」と、Google Translateの「価値があるかどうか」は直訳過ぎる。眠くてぼーっとしている人が、手間に値する、とか、価値があるかどうか、という言葉は使わないと私は思う。

直訳してはいけない、という文学作品の翻訳での基本ですね。

ではこのウサギが出て来るところ。
when suddenly a white rabbit with pink eyes ran close by her.

ChatGPT「そのとき、突然、白いウサギがピンクの目をして近くを走っていきました」

Google Translate「すると突然、ピンクの目をした白いウサギが彼女のすぐそばを走り抜けていきました」

千本松由季「白いウサギで目がピンクの奴がすごく近くを走って行きました」

ここはね、ChatGPTが一番上手い。素晴らしい翻訳。褒めてあげよう。「白いウサギがピンクの目をして」。なぜかと言うと、 a white rabbit with pink eyesは、必ず白いが先で、ピングが後にならないといけない。目に飛び込むのはまず「白」それから「ピンク」。

それから、run close by herの翻訳はGoogle Translateの方が上手い。「彼女のすぐそばを走り抜けていきました」。走り抜けていきました、はかなり上手い。

じゃあ、close by herをどう訳すか。ChatGPT「近く」、Google Translate「彼女のすぐそば」、私「凄く近く」。

close byって結構近いと私は思うので「凄く」という一言を加えた。

面白いのは、Google Translateだけ「彼女」という言葉を加えている。なぜだろう? 興味深い。


だからね、機械にも限界がある。私にも限界があるけど。私がなぜ「アリスがデイジーで花輪を作る」と原文に全く書かれていない事を書いたのか? 

完璧に無意識なんですよ。自分でも原文に書いていないことに気付かなかった。私にはアリスの頭に花輪が乗っている情景が見えていた。こういうのも面白い。

じゃあ、本人のルイス・キャロルはどんなつもりで書いたのか? 当たり前だけど、文章は上手いですよね。本当はもっと、数学者の頭で、論理的なことを言っていたのかもしれない。「手間に値するかどうか」「価値があるかどうか」と直訳した方が、実は当たっていたのかも知れない。

『不思議の国のアリス』は1865年に書かれた。なんだか随分昔ですよね。あれから160年経っているけど、私達は彼を超えられない。


私のYouTube「百年経っても読まれる小説の書き方」では、「英語で小説を書く方法」というテーマで、14作のショート動画と、9作の長い動画を撮っている。意外なことに、ほとんど毎日、誰かが観ている。英語で小説を書きたい、と思っている人がいるという証拠。

英語で小説を書くと、世界中の人が読んでくれる。小説投稿サイトも限りなくあるから、自分の作風に合わせて選ぶことができる。日本の投稿サイトのように、コンテストもやっているし、作家や読者と親しくなったりもできる。

日本にある、ラノベと純文学のようなジャンル分けもない。だから、私の様に、ラノベには重いけど、純文学にしては軽い、みたいな中途半端な人間には非常に自由でありがたい。今、日本のラノベが海外で読まれていて、ラノベのようなジャンルを主に扱っているサイトもある。

海外ではラノベと純文学というジャンルはなくて、あるのは、恋愛、ホラー、ファンタジー、アクション、ドラマ、等、そのように分けられる。投稿する時に必ず選ぶ。「アクション」というジャンルが私は好きで、よく投稿している。日本にはないと思う。それから、18歳以上という「エロチカ」というジャンルもある。エロチカは、軽いアダルトで、ポルノグラフィティーはもっと過激な性表現。私はエロチカがとても多い。

ラノベは翻訳が純文学より当然簡単だ。世界で読まれるのも面白い。コミックやアニメの延長だと思う。芸術としての小説、所謂純文学の翻訳はさっきの『不思議の国のアリス』みたいに非常に難しい。『不思議の国のアリス』は完璧に優れた純文学だ。さっきの3人でまるで翻訳が違っている。


私達がここでやるべきなのは、「最初から英語で書く」ということ。私達がやるのは「翻訳」ではない。超有名な小説家が、大金と膨大な時間を使って人を雇い、トレーニングして、多大な努力をして、自分の作品を英語に翻訳している、のも私は当然知っていて、しかし、我々がやるべきなのは、翻訳ではない。

「最初から英語で書く」。物凄く単純な英語でいい。例えば「I saw a red flower」、この程度でいい。中学の英語でよくて、高校の英語はいらない。私は中二で中二病になってから、全く学校の勉強はしなかった。でも、カナダの小説創作講座で勉強した時、先生だったSF作家に「貴女の英語は文学作品を書くには十分だ」と言われた。

だから我々が「最初から英語で書く」ことは全く可能。日本人は世界でもトップクラスの英語の教育を受けている。世界には高校を出ているのに、英語が書けない人もたくさんいる。

そして、「最初から英語で書く」の次に、とても大事なのは、「先生を探す」こと。絶対、英語の国から来た人に読んでもらう。自分で書いた英語の文学作品を直してもらう。もしかしたらここが一番ハードルが高いところだと思う。でも先生に読んでもらわない限り、文学作品にはならないし、読者を獲得できないし、意味も伝わらない。

今日は、終わりに、私の英語がどれだけ直されたか、しっかり晒すので、見てください。

私の訳した『不思議の国のアリス』を、さっきなかなか優秀だったGoogle Translateに英語にしてもらった。

Alice grew very bored of sitting idle with her sister by the river, and once or twice she peeked secretly into the book she was reading; but the book had neither pictures nor quotation marks, and she did not think it was a book at all. No pictures, no quotation marks? Alice thought long and hard about it (which, by the way, made her feel sleepy and silly on such a hot day). She was thinking about getting up and going to get some daisies to make a daisy wreath out of, when a white Rabbit with pink eyes ran by very close by.

Google Translate


機械にはできない翻訳というのがある。私が「カギ括弧」と訳したのを、Google Translateはクエスチョンマークと訳した。間違いですよね。

原文は「……it had no pictures or conversations in it」

私がそもそもルイス・キャロルが書いた「conversations」をなぜ「カギ括弧」と訳したかというと、アリスが絵も会話もない本なんてつまらない、と言った時に、絵がない、そして会話がない、会話がないのはどうして分かったのかというと、それはアリスがカギ括弧を目で探したからですよね。

そういう風に翻訳するのが、文学的な翻訳。私の様に小説を書いている人間にしかできない。

とにかく英語で書いてみよう。英語の頭で考える。私も英語で書き始めた頃は、一度頭の中で日本語で書いたことを、また頭で英語に翻訳していた。それが誤りだと悟るのには時間は掛からない。二作目、三作目くらいから日本語を通さないで英語で書けるようになる。

通じればいい。通じさえすれば、先生がナチュラルな英語に直してくれる。

TOEICで百点満点をとった人が書いた英語を読んだことがあるけど、最初から最後まで何を言いたいのか、さっぱり分からなかった。

しかし、我々は英語で文学作品を書くことはできる。なぜなら自分が言いたい、伝えたいことを書くのだから。

それから、ある若手作家さんのインタビューで、インタビュアーが「英語で書かないんですか?」と聞くと、作家は「最初から完璧に書けないのなら自分は書きたくない」と答えていた。

それは非常に間違っている。自分で英語で書かないと、伝えたいことは伝わらない。英語で小説を書く意味は大きい。

アリスが暑さでボーっとしていて、つまんないな、と思っていたところに、ウサギが走って行くのが見えた。対照ですよね。その大きな対照的な出来事、感動を表せないと駄目だ。

ChatGPTに何度もコマンドを出して、アリスの性格とか、年齢とか、シチュエーションとか、ウサギが走って来て、あー、びっくりした、眠かったけど目が覚めた! という感動だよ、とChatGPTに教え込む。

でも、教え込んでいるのはあなたですよね。あなたが状況を説明しないと、ChatGPTは正しく翻訳できない。だから本当はあなたが翻訳している。

英語で書かないと駄目だと言っても、英語の勉強はしなくていい。先にも言ったように、中学の英語でたくさん。言語というものは、文学というものは、もっと真摯で力強い。どんなにシンプルに書いても気持ちは絶対伝わる。

TOEICというのは、もともと日本人が基盤を作ったものだ。カナダ人にTOEICの問題集を見せてみた。彼は、自分は答えは全部分かるけれども、引っ掛け問題ばっかりで、これは人をどうやって落とすか、というテストにすぎず、こんな勉強にどんな意味があるのか全く分からない、と驚いていた。

じゃあ、英会話の勉強をしよう、と思うかも知れないけど、それも無意味。英会話学校がなぜ儲かるか、と言えば、それは誰も上達しないので、みんなが授業料を払い続けるからだ。

あなたの頭には表現したいことが既にたくさんあるのだから、ただそれを書けばいい。

先生を探そう。そして、あなたの先生があなたの書きたいことを理解している、と信じよう。信じて書こう。

著作憲法をよく理解した上で教育目的に引用しています。

Charles M. Schulz 作、谷川俊太郎訳

谷川俊太郎がコミックを訳していたなんて、今、考えると信じられないですよね。まあ、世界一のコミックだけども。この本はカナダに来る時、弟のだったのを黙って持って来た。

「ALL RIGHT!」を「いいかげんにしろ!」と訳している。「Very funny!」を「ひとの気もしらないで!」と訳している。

これはね、やっぱり機械にはできない。「Very funny!」だったら、普通なら「面白いぞ!」と訳す。でもこれは皮肉で言っているから、逆の意味になる。「ひとの気もしらないで!」、なんという名訳。

谷川俊太郎にも、英語の監修をする日系二世の女性がいて、やっぱり英語の先生は絶対必要。自分だけで翻訳しない。それは大事。どんなに立派な大学院を出ている人でも、論文を読むと、やっぱり英語は間違っている。自信があるから人に読んでもらわない。自信を持ったら終わり。

言語間のキャッチボール。英語から日本語、日本語から英語。

先生を探そう。日本語は世界から見れば、日本人しか使っていない、超マイナーな言語。でも日本語に興味を持って、勉強している人達がいる。そういう人を捕まえる。お金があれば幾らでもプロを雇えるけど、クリエイティブライティングを理解できるプロは少ない。

日本はね、やっぱり孤立しているんですよ。日本には、才能があって、超有名な歌手、たくさんいるけど、私は聴く度に、なんで英語で歌わないんだろう? と不思議に思う。そんなに難しいことではない。お金をいっぱい持っているんだから、歌詞を直してくれる人と、発音を直してくれる人を雇えばそれで済むこと。

こないだ日本に行った時、無印良品で試着をしていたら、英語ではない外国語の曲が流れていて、多分、東ヨーロッパの言葉だったと思う。カナダで普通に生活していて、英語以外の曲をショッピングモールで聴くことは滅多にない。記憶にはない。英語以外の、字幕付きの外国映画を観るのも、よっぽどマニアックな映画ファンだけで、一般の人はまず観ない。

だから、英語で歌おう、英語で小説を書こう。きっと誰かが読んでくれる。


私はK-popをよく聴いているけど、新曲が出る度に英語の部分がどんどん増えていく。我々はあれを見習わないと駄目。

セルフレジ、という言葉を聞いて、なんで日本でしか通じない言葉をわざわざ発明するんだろう? と私は不思議に思った。

私もカナダ人のプロのライターに小説を読んでもらったことがあるけど、彼は、自分はここまでは分かるけど、これからは先は分からない。自分はクリエイティブライターじゃないから、と言われた。文法とかは直してくれた。そういうこともある。

プロじゃなくて、その辺、例えば竹下通りを歩いている人とか、そこらへんの人の方がいいんですよ。現代風で、自然な英語に直してくれる。

大学で日本語の勉強をしている人、世界に何万人いるかは知らなけど、ネットで見付けて、宿題を手伝ってあげるから、私の小説を読んでくれる? と持ち掛ける。日本人が書いた小説ってどんなものだろう? と、きっと興味を持ってくれる。


私の英語の小説の先生は、私の小説を読んで、自身で想像を膨らませて、とんでもない訳をしてくれる。私は笑い転げたり、余り素晴らしくて唖然としたり、ああ、これが英語らしい書き方なんだな、と感心したりする。

既に10作以上二人で書いていて、私も流石に上達はしたけど、しかし今でもよく読まれる小説は、私が英語で書き始めの頃、拙い英語で書いたある小説。それが「文学」の面白いところだと思う。


これから、私がどんな風に英語で小説を書いているか、それを先生がどんな風に直してくれるか、例を挙げてみる。

読むと、ああ、英語で書くってこういうことなんだな。だから機械じゃなくて、人間の先生が必要なんだな、ということが分かる。現実的に起こっていることをお見せするので、絶対、読んでください。

それから今でも読まれている、私の拙い英語で書いた小説も、貼っておきます。それを読むと、ああ、この程度の英語でいいんだな、と見当が付くはず。

その拙い小説が、アートギャラリーで展示されて、その時の様子が写真に残っているので、それも見てください。英語で小説を書くと、色んなチャンスがある。

そして、今日から、あなたも英語で小説を書くことができる。


これは私達の新作です。まだ先生が直している途中……

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