見出し画像

本当の声を聞かせておくれ


センター試験も終わって、高三の2月。
二次試験対策の授業があるにはあったが、自宅や予備校で自習する者も多くて、学校の教室に生徒はまばらだった。

小論文対策のクラスに現れたのは、なぜか化学のタジマだった。
「回収した答案は国語の先生が赤ペンを入れます」
と言って有名国立大学の論文試験を配った。そして、けだるそうに黒板の前に座った。

この後に続く短い文章を読んで、そこから想起されることを2000字で述べよ。
問 あなたが思う真実とは何か。
文章①:月食のメカニズムについて述べた科学記事
文章②:ある事件についての証言集
文章③:漱石の小説

全部の文章に月が絡んでいた。
文章を読み進めるうち、私はどんどん不安になった。①は説明文であり、地学的な事象を断定的に論じている。②は、事件について複数の人が述べている。事実を伝えるのに、語尾が「見えました」「感じました」「思いました」で終わっている。証言者が変わると事件はまるで違う様相を示すこともあった。主観が入ると、事実は揺らぐ。③は、フィクションである。作り話。しかし、、、

今、目の前に見えていること以外は全て伝聞であり、本なりテレビなりネットなりなんらかの媒体を通した情報だ。そこには誰かの主観が入っている。真実は書き記されていないのではないか。意図せずフェイクニュースになっている可能性は否めない。

膨大な情報の中で、目を向けられていないこと、切り取られていないシーンは必ずある。さらに言えば、目の前で起きていることも、自分の体内の既成概念フィルターを通して見ている。そして、長い短い暑い寒いなどの印象は人によって異なる。

月食がおこるメカニズムだって、抽象度が低く真実と思っているけれど、今の解釈と全然違うのかもしれないし。
新事実!大発見! 
で始まる報道により、これまでの常識が覆される日が来ないとは言いきれない。

もしかして、真実なんてないのかもしれない。

一方で、フィクションの世界で描かれる、実際には存在しない人同士のやり取りはどうか。作家の頭の中にしかない作り話である。それなのに、描かれる機微の中に人間の普遍的な「愛」を感じざるを得なかった。

真実ってなんだろう。


⭐︎⭐︎


頭の中は、混乱しながらもくるくると回転している。
どうやったら良い小論文って書けるんだろうか?
どうやって伝えようか?
伝えるってなんだ?
私は、自分の短い人生経験を見渡して、紡ぎ出そうとした。学校と家の往復しかしたことのない、たった18年の人生経験で、私はいったい何を知っているというのだろうか。その場に行って実際に見て聞いて触って食べて飲んだことなんてほとんどないに等しい。知っていると思いこんでいるけど、ほぼ全てが伝聞の蓄積なんだなと思った。

でも、真実ではないかもしれないそれらの夥しい情報の中にも、きっと真実は含まれていてそれを見抜き見極めるのは自分しかいない。このように何を書こうかと逡巡して考えあぐねている私が存在しているのは、真実だ。今のこの思いは、ちゃんと存在していると私は今感じている。(18歳の私よ、それはデカルトです。コギト!)

私が目にしている太陽の光、感じている暖かさと眩しさもこれは事実ではないかもしれない?
他の惑星からすれば暗くぬるいのかもしれない。
では、私が太陽光を浴びたことで湧き出してくるこの喜びのような感情は?確かにあると思う。その気持ちだけは。私は、それを書いた。

でも、疑問は残った。

書いたそばから過去のことになってゆく、「そうだった」ものになっていくこの行為は何なのだろうか?

書くってなんだろう。


⭐︎⭐︎


答案を回収したタジマは言った。
「私、太鼓の音を聴くと興奮するんだよね」
タジマが自分のことを話すのは初めてだと思う。タジマは淡々と授業を進める方だった。ベンゼン環の組成、結合の美しさについての説明はまあまあエモかったけど。その日は、なぜかぶわっと話し始めた。

「私、太鼓の音を聴くのが好きなんだ。
ぴんと張った皮にバチが当たった瞬間に空気を揺らす。
その振動が鼓膜に伝わってゆらして、音が聞こえる。音が波のように身体を通り抜けていく。
太鼓が連打される。
同時に複数の太鼓が鳴ると、複雑な響きになる。
その響きに身をまかせると身体が熱を持つんだ」

教室にいる数名は、身じろぎもせず聞いている。
たぶん、頭の中に太鼓が鳴り始めている。

「あと、演奏している人の躍動感もいいね。
筋肉隆々の人が渾身の一打を打つ。
私の心も打たれる」

ひといきに話したタジマは、少しだけ頬が上気していた。目もいつもより大きく開いていた。それまで全然気にも留めていなかった化学教師が、急にギュンと立体感を持って存在を感じられた瞬間だった。

「さっきの小論文だけどさ、」
タジマは少し小声で言った。

「真実は存在すると思うよ」

「太鼓を叩くと、音がする」

「そういうシンプルな」

教室はシーンとしていた。
動く者もいなかった。
その間も
太陽は1億4960万km向こうから光を送っていた。8分かかって私達の地球へ届く。
私の心臓は一回の拍動で80mlの血液を身体に送り出していた。一日でお風呂30杯分。

私はタジマの本当の声を聞いたと思った。

さっき書いた小論文には、こういう感じを書けていただろうか、と胸に手を当てた。私の心臓はいつもよりも早く脈動しているようだった。

私の心臓は感動すると、より早く脈動する。

これは真実。



⭐︎⭐︎


人が本当の声で話すところを見るのが好きだ。

ここ最近多忙のため書けなくて、ずっと読み専になっている。
書いた人の茫漠と広がる心の平原(せかい)には何があるのか。心の奥に眠るパッション、その人がその人であるための要素、唯一無二の衝動、それらを垣間見た時に私の心臓は脈動を早める。

読めば読むほど、もはや、ひとりの読者として憧れを持って敬意を感じるようになってくる。結局、名のある誰かではなくて、隣にいるかもしれない誰かの本当の声が聞きたいのかもしれない。

コンテストや賞のために書かれたものはもちろん、ふだん書かれているエッセイや小説に、そこからその人にしか書けない密やかな感情を感じることが至上の喜びだ。その人がどんな肩書なのかはわからないが、私のデスク上の小さなウインドウから飛び出してくる誰かの日常はとても刺激的だ。

どうか、あなたの中の
眠っているその感動を
唯一無二の原風景を
何度でも書いて描いてかききって
鳴らして欲しいと思っている。

太鼓は鳴らさなければ響かないから、鳴らして欲しい。

これからも。

自分が自分であるためのあの情景を取り出して書いて書いて。

あなたしか持っていないそれを。
書いて書いて。

本当の声を聞かせておくれよ。










 

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

忘れられない先生

ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。