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受け入れたら出会いがある、かもしれない。

そろそろ世界が軽くなりそうだね。と彼女は言った。この2ヶ月間、行動範囲は狭いのに世界は広いというか、広い世界からここに影響するものが大きいというか。自分の内面も前よりも広くなって、内製されるものが増えた気がする。五感に敏感になったのだろうか。兎にも角にも、社会も私も、今は大切な転換点だと思う。

家にいる時間が増え始めたのが、2月末。私の会社はフルリモートに切り替えるのが比較的早かった。最初はまだ社会は活発的だったので、今思えば懐かしいくらいだけど、コワーキングスペースに行ったり、カフェに行ったり、場所を選んで働くことを楽しんでいた。今日の気分はどこが合うかなーって。3月中旬以降本格的に外出自粛になってからは、家で仕事をしている。そのあと、それなりにつらかったんだと思う。それらに対しての試行錯誤をまとめてました。

オンオフの切り替え
私は基本的に外はオン(仕事)家はオフ、その切り替えが大切でそれができないとあまり良くない状態になる。思考が籠もり、仕事の機動力が弱まり。なので、家で仕事するようのなってからは、今日は何時に退勤すると決め、その後はSlackもメールもオフにするようにした。あと、洋服はちゃんと着替え、化粧もうすーくしている。クリームファンデと口紅くらいだけど。

場所の移動ができなくなり移動時間がなくなったことも、つらさの要因のひとつだと最近気づいた。その時間で、思考を深めたり切り替えたりアイドリングモードにしたりしていたんだと思う。自分の切り替えにもなる。この人の前の私とあの人の前の私と。なので、何かしながら考える時間を作るため、最近はあえて家のなかで歩いたりバルコニー出てみたり『ながら』思考を始めた。

人と一緒にいることの価値
私は一緒に頑張る人たちがいる環境で働くことで、安心感があったりモチベーションが上がったりする人間なので、自分にガソリンを注ぎ続けるのが大変だった。なので、最初はやたら会社の人と喋りたがってたけど、最近はひとりで黙々と働くことに慣れてしまった。それはそれで悲しい。でも、この状況だからこそチームでも組織全体でもコミュニケーションの頻度が増えた。全体会とかでオンランツールのチャットがあることによって、質問しやすくなったのも結構よかったんじゃないかと思う。声出しにくい人にとって、ハードル下がるよね。

コミュニケーションのとり方
オンラインで話すことが増えて、なんでこんなにつらいんだ?って思ったら、私はノンバーバルなところでもコミュニケーションをとっていたんだと思う。これは場数が解決してくれていた。テキストコミュニケーションも、ニュアンスを間違って受け取られないように伝えるのも大変だし、キャッチするのも大変。最近は慣れた。慣れってこんなにもあるものなんだな。にんげんすごい。

家に複数の居場所をつくる
家の中に居場所を数個つくった。といっても1Kの部屋なので、カウンターに合うハイチェアとやっすい机とキャンプ用の椅子を購入し、カウンターはダイニング、やっすい机は仕事場所②、キャンプ用の椅子はオールマイティなところになった。

あとオンラインの居場所。SNSの言葉が荒かったり例の単語だらけでうるさーーーい!となったり、一時期オンラインにも逃げ場がない状況になった。なので、Facebookグループを立ち上げ、好きな友人たちと日々のちょっとしたことを共有するようにしたり、毎日30分雑談する時間を作ったりした。それによってだいぶ改善された。付き合ってくれたみんな、ありがとう。

そのほかの細々とした始めたことも。

・在庫余剰で困っている生産者さんやお店のものを通販で買った
主におつまみを5回ほど。送料は高いけど、こんなこともなければつながらなかったご縁。届けてくれる配達員さんにはリスペクトの念しかありません。

・お花のサブスクを始めた
色々調べたけどFLOWERが一番好みだった。2週間に一回選ぶのが楽しみになってる。
https://flowr.is/

・町のお店でテイクアウトをたくさんした
これはめっちゃお世話になった→https://mochikaeri-map.com/

これは山水さんのそら豆とあさりのかき揚げと生湯葉さし〜

・茂蔵にはまった
茂蔵とは、お豆腐屋さんです。ちょっと一風凝らしたお豆腐が色々、その他にもおつまみやチーズケーキも売っている。

https://twitter.com/yk1107t/status/1260512860175769602?s=20

・家庭菜園を始めた
なんなんですかね、何か愛でれるものがほしくなったんだよね。うさぎも飼いたい。

・町の人たちと里芋を育て始めた
コロナが明けたら芋煮会をすることを目標に、みんなで代わる代わる水やりをすることでつながりを感じられる企画です。

・プリンにはまった
なぜプリンかというと、比較的カロリーが低くかつコンビニやスーパーにいろんな種類が売っているので。メイトーのプリンってこんなにおいしいんだね・・・・・なめてた、ごめん。

・町の中の好きな場所が増えた
ほぼ毎日走るようになり、すてきな神社と寺、公園を見つけた。

よく等々力緑地にもいってます。自然の中にいると、本当に今に集中できてそれまで考えてたことから離れられるんだよね。私は人間だし自然は偉大。

・特定の友人と話す機会が増えた
近所のお姉さん的な人と気が合う友人と頻繁に話すようになった。私は豆腐みたいで頻度高く話してもうざくないんだよね、と言われてうれしかったです。豆腐系女子になろうと思う。

こうやって色々な課題をひとつひとつ解決するのも今思うと楽しんでいたし、わかったこともたくさんあった。週末は予定がすっからかんな日も増えたけど、意外とあっという間に時間が過ぎていく。独りを楽しめるようになったのは、我ながら成長したなと思っています。

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私が調子いいかどうかを判断するバロメーターは、仕事が楽しみか、親に優しくできるか、なのですが、ここ半年くらいだめだった。あなた、いつもそうじゃん?って思われた方、大正解です。あとこのnoteを書けるかどうかもある。こちらの方が小さい波だけど。ずっと私の状態を表す表現で使っているのは、ジャングルで道なき道をかきわけながらかすり傷をつくり転び、走り続けているような感じ。それがいやで、もうずっと休日でムーミンみたいにのんびーり暮らしたいってよく思っている。私は思考が遅いし浅いし人と喋るのが下手だし、この仕事もここも合わないのかもしれない、私本当にだめだなって何度も。

トイレットペーパーの品薄があってから、手に入らなくなることが怖くなって、やたら買い物にいきまくりストックしまくり、結果的に賞味期限切れるものとか出てきて、私何してるんだーってなっていた。洗剤とか豆腐とか、そんななくなっても死ぬようなものじゃないのに。私はロジカルでない選択=感情に動かされてとる行動をしている自分があまり好きじゃない。家のことをちゃんとしないとか身体のケアをしないとか、だらしない自分も嫌い。人に対して期待するのをやめれてよかったと思っていたけど、その分自分に対して期待をしすぎていたのかもしれない。そんなこんなで、この2ヶ月は内面の変化が激しかった。ひどいときは朝10時から白ワインをラッパのみしてたなあ(遠い目

なのに、この状況によって弱っている自分を受け入れたくなくて、その方法のひとつとして誰かにやさしく話を聞いてほしいと思いながらも、その気持ちを見てみぬふりをしていた。万を期して、cotreeでオンラインコーチング受けたら、どろどろな血がさらさらになったような感覚になりました。感情に振り回されてるのもこの状況だし仕方ないよな、うん、私つらいんだよねって言って、受け入れたら楽になりました。

感情に抗わず、嫌な感情もまるっと受け止めようと思うようになりました。そういう感情にいる自分を受け入れることが、自分を好きになるということなんじゃないかというのがひとつの仮説になりました。そういうところも含めて、ちゃんと大切なものと出会えるように自分を整えておきたい。

よく聞く話だけど、自分の心は現実に映し出されちゃうんだよね。不都合な現実があったら、誰かを責めるのではなく、もちろん自分を責めるのでもなく、ハッピーな現実を描けばいいと思うのです。あと、褒める!褒めよう!そんな簡単じゃないと思うんだけど、こんなシンプルな解決法って他にない。

最近は月とか星とかも調べるようになりました。ちょっと怪しげな感じもするかもしれないけど、今の社会・自分をちゃんと見ていると本当に起きていることとリンクしているし(自分が起こしちゃっている可能性もあるけど)嫌なことが起きても今はそういうときなんだなーと落ち着いて受け止めて、不必要に落ち込んだりしなくて済むようになった気がします。

これからの話、やっぱりニュージーランドか台湾で働きたいなって想いがむくむくしてきて、そろそろそのあたり考えてみようかなって思っています。就活の最初のほう「海外で働きたい」って言ってたら、大人たちに目的を聞かれて答えられなかったら、それは違うんだ。と思ってたけど、そういう頭で考えることより、直感でそこの空気が好きだから!!!それでいいんだな。もっと現実的なとこでいうと、地方との2拠点居住は割とすぐできそうなので、そのあたりの妄想も膨らませておこうっと。

実は、私がよく言っている「カラフルな社会」って自分の手元で受け取れてなくて、頭でストップしているみたいな感覚があります。たまに私がやりたいことはそれではないんじゃないかと思ったりするのですが、誰に何を話してもここに戻ってくるので、覚悟を決めてちゃんと手でつくっていきたいな、なんて思ってます。

おしまい

ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。