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帰ってこないでほしかった

また帰ってきた。

えいやって遠くに投げて、ぽかぽか陽気に包まれていても、またやってくる。

「私は何者か」「何者であるべきか」
このまま生きていたら、私はどうなるんだろうか。

このまま生きていたら、私は無価値な人間になるのではないだろうか。そしたら生きている価値あるのだろうか。

最初の入口はおかねだったりするんだけど、巡りに巡っていくと、本質は違うところにあったりする。

今の私。編集、ライター、プロジェクトのディレクター?、イベントとコミュニティのなんでも屋。

言葉を場をデザインすることは好き。だけど、それを仕事としてやる自信をときどき失う。効果も価値も見えにくいし、飛び抜けている人たちを見ると私はなれない、って思ってしまう。

他の人に自分の仕事を振れないのは、たくさん仕事を持っておくことで自分の肩書きを持っておきたいだけなんだと思う。

SNSマーケティング、進行管理。それらしい肩書きが私はほしい。

どこに逃げても逃げても、ごろごろ優秀な人たちがいて、経歴を見て、自分と比較して。落ち込んで。の繰り返し。

ちょっと血迷って転職サイトに職務経歴なんか書いてみて、なんだこのうすっぺらい経験値。なんもしてない、みんなができることばっかだ。

私がさりげなくやっていることは肩書きには表れないけど、みんなができることではないし必要なことだけど、肩書きにはならない。もしかしたら、そう信じているだけなのかもしれないけれど。

じゃあ、一旦、すべてを取っ払って何をしたいのだろうか。

私は届けるものはつくれるけど、届ける術を持っていない。マーケティングを知りたい。ディレクションのスキルを極めたい。

けど、ぱっと会社をやめたいとは思えなかった。

それは、今働いている会社でつくっている未来は私のほしいものだから。届け先が見えて、つくっているものがきちんと届けばその人を幸せにすることができるという、謎な確信があるから。

あとは、やっぱりうちの会社はどこか不思議で、みんな楽しく働いていて、ワクワクしていて、言いたいことは言って、とある人にはユートピアみたいって言われたことがある。だから他の会社で働くことを想像すると、すごくすっきりしない気もするから。

社会を幸せにすること or 自分の価値を創造し続けること。

なかなかに究極な、難しい選択。

若い時って、自分が何者かでないといけないような気がしちゃうじゃないですか。あれは辞めた方がいいですよね。「自分にやりたいことがない」とか「何者でもないことで死ぬんじゃないか」と思い悩んでいる子とか、見るだけで可哀相になる。私も可哀相な一人でしたし。でも、やりたいことがなくても、夢がなくても、「今は幸せですけど何か?」といえるようになるから。
(中略)
お金も何でもそうですけれど、人は相対的な状態である以上、ずっと不幸なんですよ。「人よりもっと」「社会的にはもっと」って思ってしまう。でも、「私にとって」が極まっていればいい。たとえば、お金を大して持っていなくても、「お金の使い方なら誰よりもスマートだよ」って思えるお金との関係を作れていれば、それはそれで悪くないと思う。それも「どうあるか」の方が大事ですよね。
相対的に生きるから不幸になる。やりたいことがなくても「幸せですけど?」と言えるように──グランドレベル代表 田中元子さん【前編】

こういうときに助けてくれたのも言葉たちだった。

今24歳、あと3ヶ月で25歳。
まだまだ失敗を集めるくらいの気持ちで、がむしゃらに、何も考えずに生きてもいいかもしれない。

そう考えて答えがどちらになるか。

ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。