歳を重ねることも告白することも終わりがあることも
歳をとるってどんな感じなんだろうって思ってたけど、最近は歳をとってきた気がします。いま、26歳。
全く同じことは起きないけれど、凹んでもいつか上がるし、上がらなくてもその苦悩はいつか役に立つし、苦悩はいつか共感になる、って思えるようになったからかな。
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去年の私はなんかおかしかった、なんか子どもだったと、年が明けてから思うことが増えました。まず生まれた感情は、恥ずかしい。周りの人にどう見られていたのか、そしてどう見られているのか、あーどうしよう。
でも、もうその人数も経験も多すぎて考えきれなくなったから、もうどうでもいいや。迷惑をかけていたり嫌な思いをさせていたら、ごめんなさい。
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意思って目に見えない。見えないから、どこから滲み出ているかわからないから、怖い。だから、大切にしたい。
滲み出てしまう、それは自然なことだから、私の意思からできることは少ないけれど。私なりのひとつの答えは、大切にしている意思を言語化すること、です。
今まで私は人と向き合えていると思っていた、というか、向き合えてないと思ったことはなかった。だけど、向き合えていないよ、私。特にそう思ったきっかけはなかったけれど、もし「向き合ってる?」と聞かれたとしたら、「はい!」と答えられないと思うのです。
向き合うってどういうことか、とある人に聞いたら、いったん受け止めることだそう。逸さずに。
これは、私の今年のテーマになりそうです。
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私らしくないことを書くけれど。
私はとある人を好きでいたいのではなくて、単純に誰かを好きでいたかったようなんですよね。恋愛をしたかった。
石田ゆり子さんの天然日和より。これを読んでから、私のちぐはぐなものがつながったように思えて、恋愛をするとバグるのは私だけじゃないのかもと安心した。
恋愛をすると、うれしさも悲しさも最上級。自分で自分が気持ち悪いって何度思ったことか。
もうひとつ私が恋愛をしたい理由は、世の中にある「恋愛」、楽曲とかドラマとか映画とかがすべて自分ごとになる感覚。わかることが増える、ってとこなのかな。
去年の後半、ちょっとした恋愛みたいなことをしていたんだけれど、最近そのときの私が全然理解ができない。なんでそんなことをしたのか、言ったのか、わからない。
それが恋愛みたいです。理解できない自分が恥ずかしかったけれど、逆にそれくらい盲目になっていたあなたを今の私は尊敬するよ。
終わってしまったけれど、また恋愛したいのかもしれないな。ふぅ。
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昨日、mellowという映画を見た。ネタばれせずに紹介すると、告白がたくさん詰まっている映画です。
見た後、一緒に見た人に「告白すると関係って変わるのかな?」と聞かれた。
「好きです」ってはちゃめちゃにギフトなのに、なぜこんなに伝えられないのか。伝えるのが怖いのか。うん、やっぱり怖い。関係が変わることは怖い。告白の先の未来をこっちばかりで考えていたけれど、そろそろこんな未来もやめたいな。
告白したら関係が変わるって誰が決めた?
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最近、仕事どう?って聞かれると、頭の中で一周めぐって、口から出てくるのは「楽しいよ」という一言だったりする。月曜日を両手で広げて歓迎できないけど、そんなものなんだろうね。それくらいがちょうどいいんじゃない、くらいに思います。
いつか終わりがあるから頑張れる。ってこともあると思う。だから、終わりがあることも悪くないよ。
ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。