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34riの「みんなのフォトギャラリー」を使ってくださった記事

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「みんなのフォトギャラリー」にアップした、私(34ri)のイラスト・写真を使ってくださった方の記事です。数ある中から選んでいただき、ありがとうございます!
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#家族

妻はスリッパから左右を奪う

妻の生活の大半は逆さまである。 彼女は家のスリッパを左右逆に履く。8割超の確率で逆に履く。白と水色のボーダー模様のどこにでもあるルームシューズ。ぼくが何度左右を正して揃えておいても、気付くとまた逆になっている。まるで無言の抵抗であるかのように。 スリッパは、足の形に合わせて親指側の先端が少し長いタイプだ。左右はすぐ見分けられる。なのに逆に履く。変形させてまで逆に履く。変形て。最近はぼくも間違えそうなぐらい左右の違いがなくなってきている。 右スリッパと左スリッパ。それぞれ

冷やし中華とサイゼリア

楽しい話を書きたいと思いながら、書きたいと思うことは楽しい話ではないことばかりだ。 今まで書いたものもプラスの感情だけで埋め尽くされた話ではない。 なんなら今回書く話も。 いつかはマイナスの感情は一切ないプラスの感情だけで埋め尽くされた文章を書こう。 私は父のことが好きだ。 だけど嫌いな所がいっぱいある。 私が中学生の時、 休日、起きてリビングに行くと起きていたのは母だけだった。 「お昼の時間に帰ってこれないかもしれないから申し訳ないんだけど、各自でお昼どうにかして!昨

夢を叶えるとは現実を受け入れるということ

私の兄は役者を目指していた。 高校卒業と同時に演劇の専門学校へ行き、その後劇団に入って数年は舞台に上がっていた。今は役者はやっていない。 「俺、ほんとうは声優になるのが夢だったんだ」 劇団をやめるとき、両親にそう言って声優の学校へ通ったみたいだ。それもやめて今は何をしているのかよく知らない。おそらく都内のどこかでアルバイトをしているのだと思う。 その兄が先日、結婚をしたいと言った。 そして家を買ったらしい。父親の名義で。 さすがに私は首をかしげた。久しぶりに会った

父の暴力との和解

昨日、父と漸くまともに会話した。私が母に教えてもらいながら作った父好みの味付けの皿が並ぶ食卓を囲みながら、障害者雇用で入社してきたある男性の話をしながらのことだった。 私は今まで、昔の父の暴言や暴力のトラウマをなかなか克服できず、父の前では萎縮して言葉を交わすことに恐怖感を抱き続けてきた。 本当は今も、聞きたいことがたくさんある。養子で入ったこの家のこと、生まれた時の初めての記憶、亡き母への想い。(父の母は、父を産んで直ぐ亡くなった)まだまだ、山程。 おおよそ20年ほど前

9月1日は大事な二つの誕生日

今日は9月1日。 ボクにとってこの日は二つの誕生日が重なっています。 一つはうちの嫁さんの誕生日。もう一つはボクの営む会社であるプラスホームの誕生日です。 嫁さんとは結婚して今年で20年。大学を卒業し入社した会社の同期だった。同期とは言え当時、就職超氷河期だったにもかかわらず入社した会社は500人を超える採用だったので出会ったのは奇跡なのかもしれない。二人とも広島支店に配属になりそこに同期は確か7人だったかな。部署は違ったがみんな仲が良かった。その中でいつの頃からかボク