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妻はスリッパから左右を奪う

妻の生活の大半は逆さまである。

彼女は家のスリッパを左右逆に履く。8割超の確率で逆に履く。白と水色のボーダー模様のどこにでもあるルームシューズ。ぼくが何度左右を正して揃えておいても、気付くとまた逆になっている。まるで無言の抵抗であるかのように。

スリッパは、足の形に合わせて親指側の先端が少し長いタイプだ。左右はすぐ見分けられる。なのに逆に履く。変形させてまで逆に履く。変形て。最近はぼくも間違えそうなぐらい左右の違いがなくなってきている。

右スリッパと左スリッパ。それぞれ履かれる足の定めを受けてこの世に生を受けた。なのに。逆に履かれて失われるアイデンティティ。いっそのこと靴と間違えてスリッパのまま外出するぐらい盛大な「逆」を見せてほしい。

本人によれば、見た目も履き心地も本気で左右の違いがわからないらしい。じゃあなぜ左右逆に履いていることが圧倒的に多いのか。違和感がないなら左右均等に間違うのではないか。おかしい。圧倒的におかしい。左右均等に間違えるという表現もおかしい。全部おかしい。

左右といえば方角の覚え方も大概おかしいのだ。何が「北を向いたときの左が『ひ』だから東かと思いきや、実は西」だ。覚え方がエキセントリックすぎる。そんなん「日(ひ)が昇るから東」でいいだろと思い付きで言ったら「でも、地図の上では、お日様が、見えない」と割と合理的な返しをされて妙な敗北感を味わう羽目になった。

方角の話で思い出した。駅からタクシーに乗って帰るとき、ほぼ一本道だからって「青い車が停まってる家の前で曲がる」と覚えるのは何なのだ。覚え方がエキセントリックすぎる。またしても。

青い車が停まってなかったら一体きみはどこまで運ばれるつもりなのだ。どういうわけか青い車はほぼいつも停まってるから地の果て行きドライブはかろうじて回避している。停まったままだからって「あれ、模型かも…」と言い始めたときは試しに地の果てまで行ってしまえばいいと思った。

家を出るときは、玄関で見送るぼくに「いってらっしゃい」と言ってくる。違う。いいか。外界に向かうのは他ならぬきみである。「ただいまって言わないだけいいじゃん」とかよくわからない優劣をつけて解決するんじゃない。

いつも掛け布団をきれいに直してくれてありがとう。でも上下はともかく裏表も逆さなのだ。どうしてなのだ。昨夜も漏れなく逆だった。線や模様が薄いからまあ確かにわかりにくいと言えばそんな気もしなくもないけどもういいや何でも。

今日は早めに会社を出た。玄関のドアを開けてきみの第一声が「ただいま」だったらどうしようと思い悩みながら、今、電車でこれを書いている。

最寄りまであと一駅。


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