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読書記録.1 「ザリガニの鳴くところ」/ディーリア・オーエンズ/友廣純・訳

ディーリア・オーエンズの「ザリガニの鳴くところ」を読んだ。
基本的に本は読んだら終わりのタイプで振り返ることなどめったにないのだが、感想を書いてみようと思う。

本作は2021年の本屋大賞翻訳小説部門賞を受賞した、アメリカのミステリー小説である。
同部門の受賞作品は、2020年の「アーモンド」(ソン・ウォンピョン)と、2019年の「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ)を読んだことがある。前者は割と好きだったが後者はいまいちピンと来なかった。
本屋大賞には詳しくないが、受賞作は一定の社会的評価のある本、というイメージを持っている。

本作は文庫本で約600ページ、比較的ボリューミーだが読みやすい。
後述するが、友廣純さんの訳が素晴らしかった。
フーダニットの謎解きを軸に物語は進んでゆくが、硬派なミステリというわけではない。
舞台となる湿地が抱く自然の豊かさと残酷さ、村と湿地という社会的文化的に異なる世界の対比、そしてそこに生きるカイアという一人の少女の深い孤独、人生という物語。さまざまな要素が複雑に絡み合い、ミステリでありながら文学であるような、重奏的な作品だった。
登場人物全員に妙な疑わしさが漂っており、全体に得体の知れないじめじめした印象がある。
ディクスン・カーの密室やエラリイ・クイーンのライツヴィル、クリスティのオリエント急行など、ミステリの舞台は様々あるが、ノースカロライナの湿地、というのは面白かった。都会的でないのが新鮮だ。
一概には言えないが、たぶん、好きな人は、どっぷりはまれる世界なのではないだろうか。
夢中になれるミステリを読みたいが、抒情的な世界観も味わいたい、という人におすすめしたい。

読み終わってからまず著者のディーリア・オーエンズについて調べ、動物学者であることに深く納得した。
物語には何度も、動物や昆虫の生物学的な習性が出てくる。それらはときにカイアの心情を表し、ときに彼女の未来の暗喩となっている。
例えば、自分と今まさに交尾をしている雄カマキリを捕食する雌カマキリ。
それを見つめるカイアのまなざし。「性的共食い」と呼ばれる習性らしいが、カイアの状況と巧みに重ね合わされたその描写に、彼女がどんな表情でそれを見つめているか、その瞳の奥の暗がりまでもが想像されるのである。
日本では馴染みのない生き物たちも出てくるが、緻密に描かれた彼らの生態は、物語に有機的な奥行きを与えている。
やはり自然や生き物たちは、モチーフや象徴として描かれるだけで私たちに大いなるものを感じさせるような気がする。これがもし、都会が舞台であったなら、ここまでの物語の深みはなかったのではないだろうか。

物語全体を通して、私が最も心に残ったのは、(意外にも)メイベルとジャンピンの温かさである。
まるで陽だまりのように、この物語、すなわちカイアの人生をそっと温める黒人夫婦に、私自身何度救われたか。それほどまでにカイアの置かれた状況は厳しいものなのだが、メイベルとジャンピンの支援の距離感、言葉のかけ方、ああ、いいなぁとほとんどため息をつきそうになりながら思った。

物語の前半、カイアが父親と釣りをするシーンがある。
珍しく明るく、木漏れ日の差すようなシーンだが、読んでいてふと、ヘミングウェイの心がふたつある大きな川を思い出した。
どんなあらすじだったかはもう忘れてしまったが、思い出したということは似ているんだろうか?あの素敵な短編をもう一度読みたいと、意外なところで懐かしく思わされた。
他にもところどころ、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」や、ヘンリ・ソローの「森の生活」を彷彿とさせる雰囲気が感じられる。
豊穣な自然を描き出す、というのも本作のテーマの一つだろう。

そして、冒頭でも述べたが翻訳が素晴らしかった。
友廣純さんという方を存じ上げなかったのが恥ずかしい。
良い意味で淡々としている。観察的で繊細、それでいて芯のある、まるでカイアそのものを表現しているような文章だと感じた。
翻訳について深く考えたことはないが、良い翻訳とはたぶん、言葉がその世界そのものになっているような翻訳なんじゃないだろうか。
言葉が、物語の外側に出ていない、というか、言葉すなわち世界である、というか、うーん、うまく言えない。
シンプルに、翻訳が悪いと物語の世界が世界になっていないという、それだけのことなのかもしれない。
カズオイシグロの土屋政雄さんしかり、コーマック・マッカーシーの黒原敏行さんしかり、チャンドラーの清水俊二さんしかり、ポール・オースターの柴田元幸さんしかり……………素晴らしい海外文学には、必ず素晴らしい翻訳者の存在がある。
言葉が世界を創る。
翻訳っていい仕事だなぁ。改めてそんなことを思った。

中盤少しだれるように感じたところもあったが、最後の方はページをめくる手が止まらない、いわゆる王道のミステリだった。
昔から、夏は海外SF、秋は海外ミステリ、冬は日本純文学、春は読書なんかせず踊ろうぜって感じの、雑な読書的季節感がある。
もうすぐ秋がやってくる。
次は久しぶりにディクスン・カーを読もうかな。

‐‐‐‐‐
本の感想って難しい。
続けられるかな。

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