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雑談はどうやったら上手くなるのか?

どうやら私は側から見ると「雑談」が上手いらしい。
どんな人とでも割と話をしているし
話も続いているし上手く会話ができているから
だそう。


そうなんだ。としか思わないのだけど
正直なところをいうと
私は雑談をしていない。


そう、雑談などしてないのだ。


だから、雑談がうまいですね。と言われても
なんのこっちゃ?と思ってしまう。


召し上がれ〜と
ナポリタンを出したのに
いや〜この鍋うまいっすね!
って言われてるような気分に近い。


けど周りがそう認識したのなら
私は雑談がうまいのだろう。


雑談ってなんだろう?
辞書を引いてみる


とりとめのない、さまざまの話をすること
また、その話。 よもやま話。 雑話。


ますます心外なんですけど。


私が話をする時は
相手になんらか興味が湧いた時だけであり
決して取り留めのない、時間潰しを目的とした
話しても話さなくてもいい会話などしない。
それなら沈黙で良い。


雑談が上手くなりたいと言ってる人は
多分雑談が上手くなりたいのではなく
雑談がうまいことによって
得られるなんらかの報酬が欲しいのだと思う。


周りからの信頼感とか
周りからの羨望とか
人気とか、あとはなんだろ
できる人感とか?
人を楽しませることとかも?
あとは、話さなきゃ!っていう強迫観念とか?


そしたらさらに
じゃどうして自分はそれを欲してるのか?
って考えていけばいいし


雑談は単純に手段でしかないから
本当の自分が得たいものの方が
大事な気がするけど
それを追求することってしないのだろうか。


そしたら雑談である必要もないかもしれないし
やっぱり雑談かも知れないし


あまりにも自分の中に起きているいろんなことを
把握できないのも
雑談力の低下に繋がってる気もする。


言語化や語彙力なんてものも
まずは自分の中に湧いてくるものから
出発するわけだし
そこをより分け、選択し、洗練させていくことで
他人へ差し出せれる言葉になるわけだから


何はともあれ
自己対話が大事な気がするんだけどな。
そしたら自然と雑談もできる気がする。


もし私が雑談が上手く見えるとしたら
多分それって自己対話ばっかり普段からしてて
言葉の海にどっぷり浸かってるからじゃないかな〜
と思った。

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