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心無い他人の言葉に傷ついていた理由

昨日こういう痛ましい出来事があった(私的に)

痛ましいって言うか、
すんごく嫌だったってこと。
ここ最近でめちゃんこ嫌だった。
腹が立った。やっつけたいと思った。


すんごく嫌で
めっちゃ傷つくのに
なぜか起きてしまった事件。


時々こういうことが起こる。


こう言うことが起きる時って

「あのさ〜その生き方っていうか、考え方?価値観?
もう、今の私の生き方に合わないんだけど。
古いんだけど。アップデートしてよ、めっちゃイケてない生き方なんで」

みたいなメッセージが自分の無意識から
やってきているタイミングだと思ってる。


ざっくり言うと
モヤモヤとか、違和感とか
そう言う単語で表現できると思うけど。


要するに無意識からのアラートみたいな
エマージェンシーコール的な。


感情がめっちゃ揺さぶられて
一気にストレスがかかる。
ひどい時はこれに巻き込まれてしまって
冷静を失って戦闘モードに突入したりする。


あっぶね〜
ちょっとスイッチ入りかけたし。


ぷひ〜


数時間経って
今は落ち着いて考えられる。



なぜ


目の前の大切な人が喜んでいる
と言う事実を受け取らずに
全く知らない赤の他人の
よくわからない主観を採用して落ち込むのか?案件


大切な人はすごく褒めてくれてるのに
全然知らない、会ったこともない人の
勝手な思い込みや評価に腹を立てて
傷ついて、やっつけたいと思うのか?案件


今年に入って、ご縁あって学んでいる
コーチング的手法で
ちょっと紐解いてみることにした。


コーチングの手法は
プロコーチの晴美さんから教えてもらっている手法と
潜在意識にアプローチする
カウンセリングとコーチングを混ぜた
とも花さんの手法のがハイブリッドで行う。


せしぼん式コーチングにしとく。


自分の大切な人が喜んでくれて
それに対して自分が喜んで
それを採用すると何が起きるのか?

それ以上の成長が見込めない

といきなりすごいのが出てきた。
どうしよう。
もうほぼ解決できそう。



今の私の周りにいる人たちは
決して私を甘やかさない。
その道の一流の人ばかりだし
目は確かだ。


いいものはいい。よくないものは良くない。
価値を感じるものにお金を払える人たちだし
付き合いとか、仕方なしで仕事を依頼する人などいない。
そういう素晴らしい意志を持っている人たちだ。


私に忖度などしない。
世辞など言わない。
遠慮などしない。
無駄金を使わない。


そっか。私は大切な人、と言いながらも
その人たちを信頼してなかったんだって思った。


私を傷つけないように
何かあっても何も言わない
もしくは私に興味を持たない
そう勝手に思ってたのかもしれない。


何がそうさせたんだろう?と
回顧してみたら


適当にされた経験が思い出された。


これいい?

いいんじゃない

どう思う?

いいと思う


多分母や父との会話かもしれないし
別の大人かもしれないけど
その若い時に私は
「成長したいのに全然成長ができない」と
あえて厳しく言う人、私を批判する人、
否定する人のところに飛び込んで
荒修行という選択をしていたようだ。



ナンとまぁ単純な・・・



まぁでも当時の私にしたら
それが精一杯の成長するための思いつく
方法だったのかもしれない。
成長もしたかもしれないけど
とんでもないトラウマもこさえた。



信頼する人の言葉ではなく
全然知らない人の言葉で
私は成長できる
そんなふうに思っていたようだ。



でももう、いい加減この方法が
私には合わなくなってきたみたい。



じゃなくて、大切な人たちが
どう幸せになるのか?
どう潤うのか?
どう満たされていくのか?を
考えていく方がよほど自分の成長につながる。


そうか、そうかもしれない。


知らない人の言葉を採用したところで
その先の未来はよくわからない。
全然知らない人の評価を採用しても
自分がその人たちと生きていきたいわけじゃない。


私は見る場所を間違えていたようだ。



そして成長って
そんなに無理やりするものじゃない。
厳しいことや嫌なことから学ぶのは
そろそろ終わりにして
人生も多分折り返した頃だから
喜びや、充実感から学び成長することも
受け取って良さそうな気がしてきた。


改めて
一連の事件を思い出してみたら
全然違う景色が見えた。


あれ?気にならなくなってる。
傷つかない私がいる。


また一歩進んだな。私。
コーチングってすげぇや。


お世話になっている一流の方々
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プロコーチ・実方晴美さん


BSコーチング・福田とも花さん



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