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なぜ私が悲しんでないと思ったんだろう?

2020年の2月10日に
はるちゃん(犬)がお空に帰った。


線香花火がだんだん消えていくように
はるちゃんも眠るように逝ってしまった。
苦しむこともなく、
私が抱っこしている間に逝ってしまった。


そのあと、私ははるちゃんの
生まれた時から
途中のいろんな思い出を選んで
3分ほどの動画を作った。


悲しい内容にしたくなかったから
明るく楽しい内容にした。
最後に「はるちゃんバイバイ〜」と
メッセージを載せて
クスッと笑うところもあり、
微笑ましい感じもあり、いい感じに仕上がった。



そして私の犬専用youtubeにアップしたら


こんなふざけた動画はどうかと思います!
犬が死んで悲しくないんですか?


みたいなコメントが入った。


私は一瞬何のことか
わからなくて面食らったが、
あ、動画の構成について
何か物申してるんだなと言うことがわかった。



私が悲しんでないって
何で思ったんだろう。


どうして私が悲しんでないって思ったのか
この人に聞く機会は残念ながらないし
あったとしても聞くこともないけど
どうもこの人みたいに
自分が受けた印象があたかも事実として
正義として、正解として
他人を攻撃する人が増えている気がする。



つまり、考えて話すのではなく
反応で口から言葉が出てるようなそんな感じ。



先日もXのポストで
自分の意見を述べている人に対して
ひがみだの、やっかみだの、嫉妬だのいって
その人の真意を探る人は
残念ながら膨大なコメントの中から見つけることができなかったし


社会の大多数とは違う意見を持つと
おかしいとか、嫉妬とか、ひがみとか
そう言うものに結びつけられがちなのも
納得がいかない。


繰り返すが
反応で話すのはとても危険だと思う。


相手のことを知らずに
自分が感じたことを人に投げつけるのは
暴力だと思うし
残忍だとも思う。


どう言う意図でこれを話しているのか?を
少なくとも考えることをしていきたい。


最近の映画や話には
アナザーストーリーが描かれることがあるが
どんなに悪役の人でも
嫌われたものだとしても
その人にはストーリーがある。


その発言に至った理由、
そう行動してしまう理由、
(まぁない人もいるかもだけど)


そこを考えずして
狭い視野で相手を批判するのは
いささか乱暴だし失礼な気がする。


最愛のはるちゃんを見送って
私がどうして悲しくないと思ったのか。
悲しいと表現する方法は一つしかないのか?
クスッと笑って、微笑んでしまう動画を作ると
悲しんでないことになるのか?
皆が理解できる方法でしか
悲しんではいけないのか。


そのコメントをもらった時に
逆に私の色々と自分の見えてる世界が
いかに小さいかということにも気付かされたし
自分の見えてる世界と
目の前の人の見えてる世界は
全く違うものだということも
改めて心に刻んだ。


自分以外の人とコミュニケーションを取りたいと思った時は
その人の発言の意図と、意味をすり合わせることが
良好な関係を築くのに
大事なんだな、と今はここに着地している。


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