見出し画像

それ「つまみ」になる?

私は実家に戻ると食事を作る。
大体の家庭は「母の味」みたいなものを
楽しむのが実家の醍醐味だと思うのだけど
私は作る係になるのだ。
母の味を堪能することはほぼない。


私の作る食事はとても美味しいらしく
父も母もとても喜んでくれる。
それはそれでよいとする。


先日実家に帰省した時に
いつものように私が食事を作ることになり
献立を考えていた。


夫にとても好評だったメニューを
実家でも再現しようと思ったのだが
あいにく父も母もそれを知らなかった。


そしたら母が
それつまみになる?
といった。


私はよくわからないのだけど
モーレツに嫌な気分になった。



全てが嫌になった。
もう作りたくない。
作ったものを母に食べてもらいたくない。



湧いてくる感情を整理できないまま
怒りは収まらない。



もう作らない。
食べなくていい。



つまみってなんだよ。



せっかくの帰省である。
なるべく私が怒りにまみれていることは
気づかれないようにした。



それにしても腹が立つ。



どうして私は腹が立ったんだろう。
しばらく内省していた。



私が大体腹を立てる時は
ないがしろにされたと感じた時や
軽視された時がほとんどだ。


だとしたら私は何を
ないがしろにされ、
軽視されたんだろうか?



辿ってみると少し見えてきた。



食事を作ることに対して
ありがとうではなく
「それ私の酒のアテになる?」つまり

私の酒のつまみにふさわしい料理かしら?

とものすごく上から目線で言われた気がしたかもしれない。


作ってくれてありがとう!嬉しい!
でもなく
それ食べたかった!
でもなく
食べたことないから楽しみね!
でもなく


それつまみになる?


それはがっかりするだろう。
それは気持ちが萎えるだろう。
それは腹が立つだろう。



うんうん。


母はそもそもデリカシーがない
配慮にかける人だ。
だから私とは気も合わないし相性も合わない。


だけど母はそれに気づいてない。
なんなら私が細かすぎてうるさい
くらいに思っている。


母のデリカシーのなさはわかっているけど
それつまみになる?は
予想外すぎて怒りが湧いた。


例えばなにか自分が作品を
精魂込めて作ったとして

それ、面白いの?
とか
それ楽しいの?
とかそんなことを言われることに近いかもしれない。



要するに否定をされた感じに似ているのかも。



多分母は何も気づいてない。
自分がそんなことを言ったことも覚えてないかもしれない。



そしてきっとこういうだろう。
そういうつもりじゃなかったと。



だけど人間関係なんて
そんなちょっとした事で拗れるものだ。


そんなつもりじゃなかった。と
そんな些細なことがきっかけだろう。


だけど大体そんなふうに
デリカシーのないことを言ってることに
気づかない人の方が多い。

かと言って私ができてるかどうかもわからないが。



今回のことで私が思ったのは
人の好意や善意には
全力で配慮しようと思ったことだけ。



作ってもらった人に対して
それつまみになる?は
それはないわー。



もしそれを伝えたかったとしたら
なんと言えば私は気分を害さなかったんだろう?


うーん。


やはり、ここは、何も言わず
好意を受け取って、つまみという自己都合は
人に押し付けるんじゃなくて
自分でどうにかすればいい問題。


今の所の正解は


ありがとうと好意を受け取って
自分の欲求(つまみになるもの)は自分で叶える
が正解だな。



そう言えば夫は
自分が必要か必要でないかは置いておいて
誰かに何かを差し出された時は
とりあえず受け取っている。


使うか使わないかはわからないし
捨てるかもしれないけど
相手の「さしあげたい」という気持ちは
尊重してとりあえずもらう。
ということをしていると言った。


使わないのなら勿体無いとか
いらないのなら返した方がいいとか


そういうことを言う人もいるけど
これは人の感情を無視した
「モノコト」のみに着目した考え方であって


役に立たないモノかもしれないけど
相手があげたい、相手が差し出したい
と思った感情がそこにあるのは確かだ。



例えば相手が
「いらないモノだったら断ってね」
なんて言ってるのなら
断るもありかもしれないけど


やはり人間関係はなまもの。
その時の状況や相手の様子をみながら
対処していかないと
拗れちゃうよね。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?