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見透かされそうで怖い

時々言われるこの言葉。

なんだろう、といつも思う。
褒め言葉なんだろうか?


なんかせしぼんちゃんと話してたら
見透かされそうでこわい〜!!


私は他人に見透かされるという感覚が
自分に備わってないため
これがどういうことなのかが理解できない。


何かうちに秘めてるものを
覗かれてしまう!といったところか?
もしくは、あなたに見せてるものと
違うものが私の中にあるの!って感じ?



いずれにしても見透かされる
と思ってるところがなんとも…


見透かすとは
「見透かす」は、人が隠そうとする事や、表面に現れない真意などまで見て取る意。
「見通す」は、表面に現れない真相や真意を察知したり、将来や事の成り行きを予想したりする意。特に、真相、真意を知っていることを、くだけた言い方で「お見通し」ということがある。

はは〜ん。
みられたくないものがあるんだな。


人生でそこまで関わりのない私に
たとえ何かを見透かされたところで
今後生きるのに何も影響などなかろう?
と思うのだが


そして、私ではなく、本当に見透かしている人が
他にも大勢いて、
口に出さないだけで全て見透かされている!
ということだってありえる。


そこはスルーか?
見えてるところだけ気にする?


とはいえ、
他人を軸として生きている人には
もしかしたら死活問題なのやもしれぬ。


他人にどう思われるか
他人がどう自分を評価するか
他人において自分がどういう位置なのか


自分がどう生きる。ではなく
他人からどう思われて生きるか?
を選んでいると
「見透かされる」ことが怖くなるのだろう。



自分の見えてる範囲、わかってる範囲
以外はどうするんだろう?
とちょっと意地悪なことも思ったりする。


確かに私は人をよく観察する。
言葉をよく聞いて
この人の信念とは?とか
何を重視して生きているか?とか
その人の人生観などを言動からよく
考察する。


それは他人を評価しているのではなく
単純に目の前の人に
生き物として興味があるだけなのだが
これはあまり理解されない。


図鑑に載っている
ヒョウは夜行性動物で、網膜の奥には
光を二倍にできる仕組みを持ってるので
夜でもよく見えます。
獲物は木の上で食べます。
普段は単独行動ですが、繁殖期にのみ
カップルで行動します。


と言った感じで、目の前の人の
生態が気になるだけなのだ。


よくみているので
多分みられている人は
私のポツポツ放つ言葉が
ピンポイントで刺さり
見透かされてる感じになるのかもしれない。


自分を理解されることを
把握される、占領される、のように感じてしまう人は
見透かされるという表現を使うかもしれないが


私は他人が自分を観察してくれて
理解を深めてくれたら
それはそれは嬉しいと感じるため
見透かす、とは思わず
わかってくれた、という表現をするだろう。



いずれにしろ
自分が普段から吐いている言葉には
無意識に自分が思ってること
感じていることが大いに関与していて
その人の在り方とか心模様なんかも
わかってしまうのだから
なんだかね。


私は私だけど
私と関わる人の数だけ「私」が存在する。
それは仕方のないことだ。


好きなように他人は「私」を作り上げ
「私」を存在させる。
それでいいと思う。

私は私だ。
見透かされたとしても、それはその人が
見たいように私をみた結果に過ぎないのだから。


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