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父親は娘の恋人になぜ厳しいのか

というタイトルで始めたけれど
実は私の父は、そんなに厳しくなかった。


見守り型というか
放任というか
我関せずというか


いろんな見方があるが
親が口出したところで
くっつくものはくっつくし
離れるものは離れる
というそんな考え方のようだった。


恋人を会わせても
はいこんにちは〜
くらいの挨拶で


君はどこの誰かね!
うちの娘になんの用かね!!!

みたいなそんな厳しめのアタックは決してなく
至って平穏な態度で接していた。


見た目がアレなので(スキンヘッド)
年頃の友人を含む男子たちは
最初はビビり上がっていたが
実際に怖くないことを知ると
普通に話したりもしていた。


幼い頃から
父親は娘が可愛くて仕方がなく
恋人も結婚も許さん!!!
みたいなドラマに感化されていた私は
私に恋人ができたり、はたまた結婚する時には
どんなことになるんだろうかと


父さんに理由なく殴られてしまうんだろうかと
そんな要らぬ心配をずっとしていたのだが
そんなことはこれっぽっちも起こらなかった。


それが返って私の心の傷となったこともあった。
私は父にとって大切な娘ではないのか。


結婚してからも父は私に関心がなく
興味がなく、放任だと思い込んでいたが
ある時、それが父の「愛情の形」だということがわかって
固かった心の結び目が解けていった。


愛の形は人それぞれあって
それが自分の知っているものと
かけ離れている場合


大切にされてない
大事にされてない
好かれてない
愛情を注がれてない


そんなふうに思ってしまう。



これは対親だけではなく
恋人やパートナーにも言えることだと思う。


好きならこうするはず
大事ならこうするはず。


自分とは全く違う愛情表現を相手が持っている場合
多くは勘違いをして
自分は想われてない、と思ってしまいがちなのだ。


そこが盲点で悲しいところでもある。


それまで父が放任・無関心だと
私は思っていたのだが
父の愛の形を受け入れてからは
「見守る」という見方に変わっていった。


人間関係において
自分の型で人の気持ちを押しはかるのは
大変危険だと思う。


こうだからこうに違いない
〇〇ならこうするはず


いえいえ。決してそんなことはない。
自分とは全く違う形で
自分と同じ感情を抱いている場合もある。


父に興味を持たれてないとおもって
見えていた景色と

父に見守られていると思って
見えてきた景色は


同じなのに全く違う。


どんなことでも
ちょっとした意識で
起きていることは同じなのに
感じることや見えることが変わる。


父さんが生きている間に
大事にされているということが
私が理解することができて
本当に良かったと思う。

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