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私は信じてもらえない。

昨日の夜どうしようもない怒りがわいてきた。



紐解いてみると
ハイコンテクストでコミュニケーションを取る人と
ローコンテクストでコミュニケーションを取る人がいる
っていうところが起因していると思った。



ハイコンテクストは
「行間を読む」「あうんの呼吸」「空気を読む」
非言語領域でのやり取りや前提や概念が似ていることから
皆までいわずともわかります。というコミュニケーション。

犬のうんちが落ちてるよ〜

と言ったら何も言わずに
すっと拾えるコミュニケーション

うんちは臭いのでさっさと拾おうとか
犬のうんちは見つけたら拾うものとか
そういうのが双方の間にある
共通認識のようなものがあるから


犬のうんちが落ちてるよ〜で


皆まで言わずとも、伝えたいことや
意図がズレずに伝わるのだ。


一方ローコンテクストは
直接的なコミュニケーションで
言葉の通りに伝えて言葉の通りに解釈される
そんなコミュニケーション。

育った環境やルールや前提が違っていても
すれ違いや勘違いは起きにくい。

京都の都市伝説で
お茶漬けたべはります〜?というと
早く帰って〜!という意味というところからすると
全くもってローコンテクストでは通じないとなるだろうし
いやよいやよも好きのうちとか
全くもってすれ違うことこの上なしだ。


そんな感じで
私はハイもローも区分けせずに
状況に合わせて必要なコミュニケーションを取る
ということを心がけていたのだが


私の無意識のクセで
身近な人、親しい人、家族相当に当たる人に対しては、
ハイコンテクストになりがちコミュニケーションをしていた。
ということに気づいた。


私は親しい人ほど
甘く優しく接するというのもあるのだけど
逆の価値観で
親しい人ほど直接的で厳しく接して
ローコンテクストで思ったことを伝える
みたいな文化にも戸惑ったのが
感情を揺さぶられたことなのかもしれない。



大事なのにそんな言い方するわけ???
っていう戸惑いと怒り。


思い出した。


子供の頃
私は母にとって、とても良い子だった。
勉強もしていたし
お手伝いも本格的にしていたので
近所ではいつでもお嫁に行けるね、と言われるくらい
私は母のサポートをしていた。


言われた言いつけも守るし
その場の欲に流される子供ではなかったので

試験前にみんなでカラオケに行こう〜!と
その輪に誘われても
いや、遊んでる場合じゃないよね?
終わってからでも遊びに行けるでしょ?

いえ〜い!
楽しそう!行っちゃおうぜ!
親に嘘ついてさ!

みたいなことには絶対にならない
みんなに水を差す子だった。


母の言いつけを守り信頼度を重ねていたし
母が私を裏切ることがあっても
私が母の言いつけを裏切ることもなかったし
母に失望されるようなこともしていない。


絶大な信頼を得ていると思っていたのだが
ある日私が何か習い事をしたいと言った時に


それは夜でしょ?
夜はダメ。不良になる!


といって制した。


いや、どこをみて不良になると思ったわけ?
これまでの私の積み重ねてきたものは
一体なんなの?
何にもみてないってこと?


私のどこに不良になる要素がある??
不良になるかどうかなんて
これまでの私をみてたらわかることでしょうが???


と、当時は言語化できなかったが
絶望的な悲しみと怒りに襲われたことがあった。



信じてもらえてない。



私が社会人になって組織に馴染めず
仕方なしに起業した時も
応援どころか、

大丈夫なの??
家に迷惑はかけないでね!

と不信の言葉を投げられた。


母の意図としては
迷惑をかけないくらい奮起しなさい!
ってことだったらしい。


わかるかっ!
ばかかっ!


この辺りで私の中の母との距離感が
地球と冥王星くらい離れてしまったのだけど
長い時間をかけて
母への思いも少しづつ変わっていったところに



私の根底にあった
私は信用されない
どんなに尽くしても報われない


というのが
昨日の夜に、にょきんと出てきたのだ。


冷静になると
私のハイコンテクストの背景には


信頼しているならその子が明るい未来を見れる言葉をかける
信用しているなら疑わない
信頼してるなら突き放さない
信じているなら「よかれ」で物事を見る
邪推や疑念を持たない。
とことん信じ尽くす

みたいなものがあったのだが


(まぁだから私が他人に対してここまで思うには
大層時間を費やすし相当な絆を要するのだけど)


母のハイコンテクストの背景には

信頼しているならなんでも言って良い
信頼しているからこそ心配になるし気になる
信用しているからこそ確認をしている
信じているけど言いたいことは言う


みたいなのがあったらしい。



全然違う。
全く違う。


どうしよう私と
全く重なるところがない。


これでハイコンテクストで
コミュニケーションをとったら
もう不和や争いしか生まない。確定。


そのコミュニケーション方法や
自分の信念を書き換えることなく
私は自分の思考の癖を持ったまま


・私は信用されない
・私は尽くしても信頼されない
・私は信じてもらえない



価値観が異なる他人と接するからそりゃ
遅かれ早かれ問題は勃発するだろう。


ということにさっき気づいた。


これを少しでも和らげるには
自分以外と接する時は
なるべくローコンテクストでコミュニケーションをとる
ということを思いついた


自分の身を守ることと
誤解を生まない
軋轢やすれ違いを生まない
今の所の最善策だと思った。

民族が多かったり
価値観がそれぞれ違う国では
ローコンテクストが主流というのも
うなずける。


大切な人ほど
理解し合いたい人ほど
ローコンテクストで。



本日の気づき。

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