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1000億をつくった男のお金の使い方 『ならずもの 井上雅博伝 ――ヤフーを作った男』 #357

名将の陰に名参謀あり、だそうです。

劉備玄徳と諸葛孔明、豊臣秀吉と真田幸村、上杉景勝と直江兼続、などなど、戦国武将の活躍は名参謀によって支えられていました。

一方で、ビジネスにおける名参謀は、ほとんど表舞台に出てこないようです。

「ヤフーを作った男」と呼ばれる井上雅博さんも、そのひとり。ソフトバンク社長室の一角で生まれた「Yahoo! JAPAN」の創立メンバーであり、驀進する孫正義の下で年商1兆円の企業へとヤフーを育てた方です。

井上雅博さんの半生を綴った本『ならずもの 井上雅博伝 ――ヤフーを作った男』を読みました。

前半は、世田谷区にある祖師谷団地に生まれた井上さんの生い立ちが中心。のどかな下町であると同時に、当時の“成金”が集まってきた町でもあります。マンモス公団ができたことで、人口は爆増。多彩な人々が暮らす町でもあったそう。

近くには円谷プロがあり、井上さんが通った小学校の卒業生には、みのもんたや田村正和、坂本龍一らがいます。

地主の子も、団地の子も、お金持ちの子もいる町。そんな多様性のある場所で育った井上さんは、ガチの「オタク」でした。

大学に通うよりも、パソコンショップでプログラミングする方が楽しいとアルバイト店員になり、そのまま日本初のマイコンを生み出した会社に就職。孫正義にスカウトされ、ソフトバンクへと転職することになります。

後半は、ヤフーを引退し、満喫していた趣味の世界のお話です。クラシックカーやワイン、別荘など、1000億の資産がある人は、お金の使い方が違う!

ただ、「ヤフーを作った男」の人物伝なら、米ヤフーとの交渉の裏側や、孫正義の信頼を得た過程といったビジネス面の話が読みたいもの。その辺りがほとんどないのが残念でした。

孫正義の言葉としては井上さんの葬儀時の弔辞しかなく、直接インタビューしたわけではなさそうです。

「孫さんは、技術的なことがほとんどわからない。それでいて、この技術は伸びるとか、使えるとか、そこを捉えるセンスはものすごく鋭い。中身がわからなくても、これはいける、と誰よりも先んじてキャッチする才能は日本一あるんじゃないでしょうか。孫さんがキャッチした技術やその価値について裏付けを取っていくのが、井上さんの役割でした」

ふたりをよく知るヤフーの初代編集長、影山工さんの言葉です。

参謀の役割として挙げられる、
・情報を集める。
・情報を分析する。
・解決策を用意する。
といったことを実行し、結果を出していたということですかね。

井上さんは2017年4月にカリフォルニアで開催されたクラシックカーレースで亡くなられたとのこと。

かつての同級生でさえ、井上さん=ヤフージャパンの社長と気づいていなかったくらい、表舞台には出てこなかったそうですが、もっとお言葉を聞いてみたかった。





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