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同調圧力に押されて失った言葉は取り戻せるか 『彼らは世界にはなればなれに立っている』 #587

初めての出会いに撃たれてフルフルしています。すごい小説との出会い。セリフのひとつひとつに既視感があって、同調圧力の息苦しさは、まるで“現在”を見ているかのようでした。

ドラマ「相棒」の脚本家のひとりである太田愛さんの『彼らは世界にはなればなれに立っている』は、架空の町〈はじまりの町〉で生きる人びとを描いた小説です。

<あらすじ>
〈はじまりの町〉で初等科に通う少年・トゥーレ。ドレスの仕立てを仕事にする母は「羽虫」と呼ばれ、公然と差別されている。長距離トラックの運転手をしている父が帰宅した日、母は行方不明になっていた……。

太田愛さんの小説は初めて読みました。インタビューでは差別と排除によって分断されている世界を、小説に写し取ろうと思ったと語っておられます。

トゥーレが住む町は〈はじまりの町〉と呼ばれ、住人たちはこの町に生まれついたことを誇りに思っています。だからこそ、よその町から来た人々を「羽虫」と蔑み、人間として扱わない。病気になっても入院はできず、仕事の選択権もなく、亡くなっても葬式さえあげてもらえません。

〈はじまりの町〉の住人である父は、トゥーレにささやきます。

おまえの体にはこの町の人間の血が流れている。始まりの町に生まれた者の誇り高く勇敢な血だ。

一方で、母は「羽虫」として差別を受ける。投げつけられる侮蔑的な言葉は、父には聞こえないのか……。トゥーレの中をかけぬける矛盾が痛いくらいです。

小説は、少年トゥーレ、映画館の受付係であるマリ、町の情報屋である葉巻屋、禁書を隠し持っている魔術師の一人称で進みます。登場人物をつなぐのは、町を治める「伯爵」の“養女”コンテッサ。輝くような美貌を持ち、賢くて、「わきまえない女」のコンテッサは、「羽虫」のための計略を練っていたのですが。

トゥーレは学校で「三つの大事なこと」を教わっています。

ひとつ:規則を守ること
ふたつ:わがままをせず我慢を覚えること
みっつ:指導的立場の人間に従うこと

毎日この教えをたたき込まれた子どもたちは、大人になっても「疑問を持つ」ということがない。

中央府がなにかを決めて発表したら町の人間は従うだけ。そのうち、ああしろこうしろと命令があるだろうから、その時にわかれば事足りるというわけだ。

市井の人にとって、難しい話なんて分からない。結論だけ聞かせてくれればいいよ、命令を聞いてれば暮らしていける……。

〈はじまりの町〉の人たちは「考える」ということをしないんですよね。同調圧力に押されて、自分の言葉を持っていない。読むほどに、だんだんと自分も「ゆでガエル」の状況にいるような気がしてきました。

幼い少年の心に残した傷。男たちに踏みにじられた女性の人生。叫びたくても叫べなかった言葉。

トゥーレも、マリも、“わたし”なのかもしれない。



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