カルロスくん

「新人研修なんてクソ!」という声には、“祝福”を送りたい

「新人研修なんてクソだよ~」

という声をよく聞きます。マーケティングの会社で研修を担当しているわたしとしては、反論と共感、両方を持っていますが、やっぱり共感よりも“祝福”ですね。

とはいえ、「“祝福”って、なぜ?」と思う方の方が多いことでしょう。

そこで今回は、研修内容を考えるにあたって「やらないこと」を先に決めた、そんな話をするとともに、「新人研修は役に立たない」という考えが、いかに幸せなことなのかを書いてみたいと思います。

(わたしが研修担当として立案しているのは「人材教育全般」であって、「新人研修」は範囲からはずれてはいるのですが、根っこは同じかな、と)

クソと言われる「新人研修」が、なぜ必要なのか

「新人研修でやったことなんて覚えてないよ」

という話。そうですよねー。わたし自身、新人研修で何をやったかなんて、詳細に覚えていません。ひとつ、鮮明に覚えているのは「理不尽に怒られたこと」です。

人材派遣会社に入社した、数十年前のこと。わたしはバックオフィスメンバーであるにも関わらず、テレアポ研修をやらされていました。「電話で与件をいただく→詳細を確認する」という流れです。

mame「会社には駐車場がございますか? 自動車通勤は可能でしょうか?」

このひと言が、なぜか、大阪支社長の怒りに火を付けました。

大阪支社長「くだらない質問するんじゃないっっ!!!」

この時、本当に、ほんっとぉーに、なぜ怒られているのか分かりませんでした。後で考えてみると、ふだん支社長がいる大阪は都会なので、“電車移動”が当たり前だったのですね。ですが、わたしのいた地域では“自家用車移動”が当然。会社にも、レストランにも、だだっ広い駐車場付きは基本事項なんです。まれに、駐車場が3台分くらいしかないオフィスもあるので、そのことを確認しただけ(のつもり)。

いま思い出しても「理不尽に怒られた」としか思えないのですが、研修内容を考えるにあたって思い浮かべたのは、このエピソードでした。

ここから出発しよう。そう決めました。

「やらないこと」と「やりたいこと」を決める

とりあえずは下記の3点を「やらないこと」に決めました。

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そして、次の3点を「やりたいこと」に挙げました。

画像2


どれも当たり前と言えば当たり前のことなのですが、意外と苦しいなと感じるのは、実はどちらも3番です。

「やらないこと3」理由を説明できないことはやらない。

「つべこべ言わずに、言われたとおりにやりゃーいいんだよ!」

校閲ガールであるわたしの前職では、常にそんな怒声が飛び交っていました。あぁ、いまも思います。

このひと言を言えれば、どんなにラクか……。(ゴックン)

わたしが決めた「理由を説明できないことはやらない」を実行しようとすると、

“なぜ、この作業が必要なのか”
“なぜ、この数式を覚えた方がよいのか”
“なぜ、このショートカットが便利なのか”

といった、業務の細かい話から始まって、

“なぜ、あいさつをするのか”

といった、社会人としてのマナーまで、理由とメリットを説明できないといけません。
(というか、“なぜ、あいさつが必要なのか”の説明が必要な人に会ったことはなかった……)

これは教える側に向かってくる刃でもあると感じます。「つべこべ言わずに~」と言えればどんなにカンタンだろう。

軍隊式の画一的な教育って、大勢を無条件に従わせる=労働者層の生成には有効なのでしょう。でも、いまの時代、そんな仕事はすぐにAIに取って代わられます。そしてわたしはそんな人物を育てたいわけではありません。

このひと言は、教える側の“手抜き”だ。

研修プログラムを作る側と教える側の苦労は増しますが、ここをとにかくていねいに作ることにしました。相手に納得してもらうために自分の仕事を言語化することは、実は教える側の糧にもなっていると感じます。

「やりたいこと3」学んだことは現実の仕事で使えるモノにする

自分から進んでセミナーに行ったり本を読んだりするメンバーは、ある意味扱いやすいのです。そして、“現状で満足”、“ただでさえ忙しいのに、勉強なんていつやるわけ?”と考えている層へのアプローチも考えながら研修を運営しています。

問題は、セミナーなどに参加して、“あー、楽しかった”で満足してしまう人たちです。

エビングハウスの忘却曲線を持ち出すまでもなく、刺激だけで満足して終わることは、誰にでもあると思います。“いい話聞いたなー。刺激を受けたなー”と、ホクホクしながら眠る。そして、次の日には半分以上を忘れていて、いつも通りの仕事の仕方をしているという、あれですね。笑

フリーライターの上阪徹氏の著書、『ライザップはなぜ、結果にコミットできるのか』には、ライザップの方がこんなことを語るシーンがあります。

「日本の教育に足らないのは“やりきる力”だと思います」

“やりきる力”。これこそ、研修に盛り込みたい!

というわけで、「現実の仕事で使えるモノ」にするための仕掛けも考えました。これが有効かどうかはもう少し様子を見て、また書いてみたいと思います。

「だから新人研修なんてクソなんだよ」という言葉への祝福

わたしは、「新人研修でやったことなんて覚えてない。だから新人研修なんてクソ」という声には、反論と共感のどちらも持っています。ただし、「ムダ」とは思っていません。

新人研修でやったことを覚えていないのは、実は、とても幸せなことなのです。

なぜって?

学んだことがすべて自分の中に入っているから。だから覚えていないんです。

これこそが、自分の成長の軌跡です。

およそ、これ以上の“祝福”はないとしみじみ思います。不器用者だったわたしを、どうにか“仕事人”として立てるくらいにしてくれた「新人研修」には、いま本当に感謝しています。

そんな視点で、研修の内容を一度振り返ってみてはいかがでしょうか?

さまざまな「研修」の違う側面が見えてくるかもしれませんよ。

※見出しの写真は先日行った「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」のものです。王太子のカルロスくんのツヤツヤでふくふくしていて、おまけに凛々しい姿が拝めます。おすすめ。


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