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狭い世界で濃くなっていく憎しみの形 『ねじれた家』 #332

「家」が舞台となるドラマでダントツに印象的だったのは、「ダウントン・アビー」です。「家」というより「お城」ですが。

荘厳で重厚なお城に暮らす伯爵一家と使用人たちの物語は、映画化もされました。クラシカルなファッションやインテリアに興味がある方は、ぜひ観てみてください。豪華絢爛なのに、かわいかったり、エレガントだったり。目が肥えてしまいそう。

もう一本、アガサ・クリスティーのサスペンス小説『ねじれた家』もよかった。

こちらも映画になっています。

付け足し増築を重ねたせいか、家全体がねじれたようになっている邸宅が舞台のミステリーです。

イギリスに移民して事業を興し、大金持ちとなったギリシャ人のレオニデスが死体で発見されます。孫娘ソフィアや、その恋人チャールズ、警察が捜査するものの、犯人は見つからず。いったい誰が? なぜ?

映画では設定がいくつか変更されていましたが、基本的にこの家の住人たちは同じです。後妻と、先妻の姉。長男夫婦と次男夫婦、その子どもたち。みんな心がねじくれている……。一族全員に殺害の動機があり、全員が容疑者なんです。

小説では本当にラストになって犯人が明かされ、「あ!」となりました。で、犯人を知った状態で映画を観て、「あ!」と気づいたのがカメラの位置でした。

映画版の監督はジル・パケ=ブレネール。この監督の「サラの鍵」という映画が好きなんです。「ねじれた家」では、ゴタッとした家の中が再現されていて、おまけにさりげなく犯人を示唆するカメラワークがあって、とても楽しめました。

この作品について、クリスティ自ら「最高傑作」と語ったそうですが、うーん。どうでしょう? わたしはミス・マープルの方が好きですけど。それでもさすがはクリスティ、渦巻く対立と反感、マウンティングが積み上がっていく様は、ゾワリとさせられます。

「家」という狭い世界だけにいると、憎しみが思わぬ形で爆発するのかもしれません。それを昇華させようとする行為は、善と悪では語れないものでした。「家族への愛」と、言葉で言うのはカンタンですが、割り切れない。

もし視野が狭くなってるなと思ったら。

書を持って、家を出たい。






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