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諸行無常の中にたたずむ、ぜんぜん天使らしくない天使 『天使のいる廃墟』 #580

天使って、プリプリして愛らしい存在なんだと思っていたのに。中年のおっちゃんだなんて!

天使は神の使いであり、人間を守るよう命令されている存在です。ラファエロが描いた『システィーナの聖母』の天使なんて、イメージぴったり。

ラファエロ・サンティ

(画像はWikipediaより)

なのに、スペインの小説家・フリオ・ホセ・オルドバスの『天使のいる廃墟』に登場する天使は、中年のおっちゃんなんです。しかも、めっちゃ人間くさい。というか、「自称・天使」なので、たぶん、ふつうのおっちゃん。

最期の時を一緒に過ごしてくれる「天使」と、村を尋ねてくる人びとの物語です。

<あらすじ>
住民が逃げ出したため、廃墟となった村「パライソ・アルト」。ここで死のうとやって来た男は、「天使」として仕事をすることに。村を訪れるのは、人生を諦めた人たち。「天使」は、向こう側への旅立ちを見送ることになり……。

「パライソ・アルト」とは、「天空のパラダイス」という意味だそう。「楽園」の名を持っているのに、住民がひとりもいない村が舞台です。

「自称・天使」の男は、村を訪れる人の話を聞いてあげたり、歌をうたってあげたり。有名なポルノ女優がやって来た時には興奮し、元カノに迫ることも。村にあったバーのお酒を飲み尽くし、日常の食事は近所の村の人にお世話になっている

自由やな!

という天使です。「自称」ですが。

ひところ、「廃墟」がブームになりましたね。寂れた工場や、誰もいない遊園地のメリーゴーランドなどの写真集も発売されています。

「廃墟」なので当然、人の気配もないし、壁は崩れているし、雑草がぼうぼうだし、なのですが。不思議と心がシンとするんです。「諸行無常」の世界ともいえますが、この場にかつてあったはずの賑わいを想像してしまう。

他者の記憶と、いまの自分とを自由にリンクできる場所が、「廃墟」なのかもしれません。

そんな「廃墟」の村で、ひとり自由に暮らしている「自称・天使」。かつての「楽園」は、天使にとっての「楽園」となり、旅立つ人にとっても「楽園」であることを祈る場所になりました。

ほのぼの、というよりも、人間くさい天使。お涙ちょうだいな身の上話もありますが、どれもカラッとユーモアに包まれています。なにより、すべてをあきらめた人のサッパリした表情に引きつけられていく。

軍事訓練のために村へとやって来て、コッソリと舞台を離れて村に止まった兵士がいました。命令を聞くのが仕事だったという兵士は、最期にこんな言葉を残します。

見えない手に首を絞め上げられているみたいに苦しくなって、その苦しみの中で気づかせてもらえた。従うのであれば、心の声にしか従ってはならないということに。

生と死の間に立ち続ける天使は、ぜんぜん天使らしくないけれど、最期の時間を過ごす人にとっては、最良のパートナーなのかも。痛みを抱えた人たちは、あたたかく迎えられ、そして見送られるから。


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