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死の側で生を見つめる少女の物語 『出世花』 #202
死を見つめることは、生を見つめることにつながる。
最近読んでいた複数の本から受け取ったメッセージです。全然違うジャンルの本なのに偶然が重なる。だから読書っておもしろいんですよね。
フランスの哲学者ドゥルーズは、人間は「どう生きるのか、どう死ぬのかその詳細も命じられることのないままに、どう生きて死ぬかという問いを課せられてこの世に生み落とされ生き始め」ると語っています。(『ドゥルーズと狂気』より)
誰にも教わらないまま、とにかく手と足を動かして、息をし、物を食べ、今日を送り出して明日を迎える。
それが「生きる」ということなのだとすると、「死」とはなんだろう。
死の現場に近い仕事をしている人は、日々さまざまな死を目にすることになりますが、じゃぁ、その分、生を見つめてよりよい生き方を実践できるのかというとそうでもない。悟りきれずに迷い悩む男を描いた映画が「おくりびと」でした。
「おくりびと」は納棺師をされていた青木新門さんの『納棺夫日記』をもとに映画化された現代のお話。江戸時代の納棺師を描いた小説が高田郁さんの『出世花』です。
旅の途中で父を失ったお艶は、「縁」という名をもらって青泉寺で暮らすことになります。そこは死者の弔いを専門にするお寺で、お縁も湯灌場を手伝うように。自身の生きる道に悩みながらも、死者を弔うことに意義を感じ、自らの運命を受け入れていく少女の物語です。
『出世花』で第2回小説NON短編時代小説賞奨励賞を受賞し、作家としてデビューした高田郁さん。「たかだかおる」と読みます。「#1000日チャレンジ」の中では、「みをつくし」シリーズを紹介しています。
お縁を描いたデビュー作の『出世花』はじめ、悲運に見舞われた少女の成長物語を多く手がけています。
天変地異の前に人の無力さを感じたり、ちょっとした風邪があっという間に悪化してしまったり。江戸時代ってなんでこんなに簡単に人が死んじゃうの?というくらい、主人公の周囲には死の影があります。もちろん、医療技術も衛生環境も現代とは段違いなので仕方のないことではあるのですが。
でも、大切な人を永遠に見送る痛みは、変わらないんですよね。
青泉寺でお縁が担当する「湯灌(ゆかん)」とは、葬儀の前に遺体を入浴させて清めることです。病で亡くなった少女、苦しみに疲れた老人、多くの死を目にしたことで、「一番きれいな姿で送ってあげたい」と考えるようになったお縁。生きている人と同じように遺体にも優しく接し、死に顔を整える。彼女の仕事は残された家族の痛みを癒やすようになっていきます。
映画やアニメの聖地巡礼にはあまり興味がわかない方なのですが、一か所、ぜひ行ってみたいところがあります。映画「おくりびと」で本木雅弘さん演じる小林がチェロを弾いた、山形県の月光川河川公園です。
(※画像は「全国ロケ地ガイド」より)
奥に見える山は鳥海山。月光川の土手にぽつんと木の椅子が置かれているそうです。
この椅子に座って、自分の死を見つめつつ、生を見つめてみたい。
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