不器用で、ぎこちなくも必死に生きる人たちのジタバタ 『走れ、オヤジ殿』 #448
韓国映画やドラマを観ていて「父の不在」を感じることがあります。母と娘の確執、母の溺愛で壊れてしまう息子にアップアップしていたら、いまはフェミニズムの波がやってきてしまった。
そんな中で読んだキム・エランさんの短編集『走れ、オヤジ殿』は、ダメオヤジをみつめる娘の視点が新鮮でした。
表題作の「走れ、オヤジ殿」は、会ったこともない父を想像する娘の物語です。臨月の母を捨て、出奔した父。主人公が想像の中で父に課したのは、「走ること」です。
福岡やエジプトの観光地を駆け抜けて、エンパイア・ステート・ビルに立ち寄って山へ向かう父。娘が走らせる父は「永遠の鬼ごっこ」の中に閉じ込められているように感じます。
「父を走り続けさせる理由は、父が足を止めた瞬間、自分が父に駆け寄って殺してしまいそうだったからではないのか」
韓国文学を代表する若手作家であるキム・エランさんの小説の特徴は、淡々としたあたたかさでしょうか。当事者でありながら、観察者のような距離感で、重いテーマの小説もクスッと笑いながら読むことができます。
「コンビニへ行く」は、よく通っていたコンビニに、ある理由で行きにくくなってしまった女性のお話です。道の向かいのお店に行くようになるのですが、そちらでもある事件以降、行けなくなってしまう。「個食文化」のなかった韓国で、ひとり暮らしの女性の生活をのぞき見するような感覚があります。
この主人公の不器用さは、まるで自分を見ているようなんですよね。
“なんとなく”くらいの理由で通っていたお店の人から親しげに声をかけられると、その後、行きにくくなってしまうことってないですか?
(あ、そんなつもりではなかったのです……)
という気がして、人見知りにはとてもつらい瞬間なんです。話しかけられるとドギマギしてしまうのだけど、ぶっきらぼうにされると悲しくなる。人間だもの。
そんな不器用で、ぎこちなくも必死に生きる人たちがジタバタする、9編の物語を収録。韓国の「フツーの若者」を知るには、うってつけの本だと思います。
キム・エランさんの小説では長編小説『どきどき 僕の人生』を韓国語の原書で読んだので、あらためて邦訳も読んでみたいな。
こちらは「世界で一番いとしい君へ」のタイトルで映画化されています。カン・ドンウォン×ソン・ヘギョという豪華な若夫婦の苦難と愛の物語。泣きます。
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