テロル

人間として生きることを求めた闘い 『女たちのテロル』 #242

今日3月8日は、「国際女性デー(International Women’s Day)」ですね。1904年3月8日にニューヨークで婦人参政権を求めたデモが起きたことから、1975年に制定されたそうです。

日本で「国際女性デー」が展開されるようになったのは、2017年から。

(時間かかりすぎやん)

という言葉をそっと飲み込んで、今日は100年前の3人の女性の闘争を描いた『女たちのテロル』をご紹介します。

日本、イギリス、アイルランドと場所は違えど、ほぼ同じ時代の19世紀末から20世紀初頭にかけて、それぞれの命をかけて思想を育て、闘った女性がいました。

「生きるとは、自分の意志で動くということである」超自然児のアナーキストである金子文子。1903年生まれ。
「言葉より行動を」武闘派サフラジェットのエミリー・デイヴィソン。1872年生まれ。
「どんな抑圧も搾取も惨殺も、アイルランドから反逆の魂を奪うことはできない」凄腕スナイパー、マーガレット・スキニダー。1892年生まれ。

「サフラジェット」とは、「参政権」を表す英語「Suffrage」を求めて立ち上がった、女性参政権運動の活動家のこと。この時期の女性参政権運動は、第一波フェミニズムとも呼ばれています。

イギリスの歴史時代劇ドラマ「ダウントン・アビー」に、三女のシビルが集会に参加して父の伯爵から叱られるというシーンがありました。また、シビルと結婚することになる運転手のブランソンはアイルランド独立運動家で、だから余計に結婚を反対されていたんですよね。

シビルが参加した集会で演説していた人は、サフラジェットのメンバーだったのかもしれない。ブランソンの友人も、アイルランドの独立を求めた「イースター蜂起」に参加していたのかもしれない。

うおー。史実とドラマがつながると、なんだかドキドキします。

金子文子と、夫であり同志でもある朴烈との生涯を描いた映画「金子文子と朴烈(パクヨル)」は、昨年公開されていました。劇場公開は見逃しちゃったのですが、DVDで観たい!と思うくらい、文子の生き方は悲惨で純粋で鮮烈です。


本では、文子、エミリー、マーガレットの3人の人生が順番に描かれ、ブレイディみかこさんによって、ひとつの物語として結ばれていきます。

スコットランドで教師をしていたマーガレットは、後にイギリス初の女性議員となるコンスタンツ・マルキエビッチ、通称マダムの薫陶を受けたりして、祖国・アイルランドへの想いを固めていく。

エミリーは何度も収監されつつ、政治犯としての扱いを求めてハンガーストライキで対抗。最期は国王ジョージ5世の馬の下敷きになっています。吃音に悩まされる王の物語「英国王のスピーチ」でコリン・ファースが演じたのはジョージ6世。ジョージ5世は彼のお父さんにあたります。

文子の生涯は、マジでやばいのひと言。百姓の娘だった母と、それなりの家の息子だった父の間に“女”として生まれたために、出生届も出されなかった。最初から「制度」の外にいたのです。育児放棄、児童虐待、性的虐待、親戚中をたらい回しにされ、どこに行っても邪魔者扱い。学校にも通えず、子どもながらに底辺の生活を送った文子は、冷静な目でオトナや世間を見つめ、自分の肉体で思想を獲得していきました。

人間として生きること。

ただそれだけのことが、なんて難しいんだろう。彼女たちが求めたのは、参政権であったり、祖国の独立であったりしていますが、その先にあったのは「人間として生きる権利の獲得」です。

100年前の出来事と思うなかれ。現代の経済格差や労働問題、そして女性問題が、すでにこの時代に顕在化していたことが分かります。

男並みに働いて出世し、社会に物言える言葉と立場と権力を獲得すればいいじゃん。むかしから何度も聞いたリクツは結局、格差を生み出しているいまのシステムを肯定することになります。でも彼女たち3人は、階級の「下側の者たち」のそばにいることを選び、民族も階級も超えた連帯を叶えました。

女性だから、男性だから、○○人だから、●●世代だから。そんな型からの脱出こそ、生きやすい社会に必要なのかも。「フェミニズム」という言葉を考える日に、ぴったりの一冊です。



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