文芸翻訳

“苦労を買って”挑戦した5か月の話

韓国語には「사서 고생한다.(苦労を買ってする)」ということわざがあります。日本語の「若い時の苦労は買ってでもせよ」と同じかな?と思われると思いますが、意味は正反対。

日本語の方は「若い時にした苦労は貴重な体験として将来役に立つ」という意味で、試練があってこそ成功・成長があることを説いています。若者よ、苦労せよってことですね。

余計なお世話や。

一方の韓国語は、「やらなくてもいいのに、自分からわざわざ大変なことをして苦労する」ことを意味しています。要するに、

アホ

のことです。つまり、わたし。


まだまだ前置きが続くので先に書いておきますと、今回のnoteでご紹介する本は文芸作品を翻訳するときの参考書です。なぜこれか。

「日本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール」に挑戦したからです。

昨年から5か月にわたって、「苦労を買ってする」日々を送っていました。文字通り、本まで“買って”苦労した。なんでこんなこと思いついちゃったんだろうと思いながら苦しんだ。精神的に追い詰められてほとんど仕事もしていませんでした。

計画性がなかったのです。

そこで今日は、わたしの翻訳手法を紹介しつつ、

計画性のないアホ

の話をします。


ということで、前置きの続きです。

いま日本で公開中の韓国映画「パラサイト 半地下の家族」に、父のギテクがこんなセリフを言うシーンがあります。

「計画というのは無計画だ。計画があるから予定外のことが起こる。計画しなければ予定外のこともない」

画像1

(※画像はIMDBより。暗い!)

映画をご覧になった人はお分かりになるかもしれません。映画の中で“計画”という言葉は大きな意味を持っています。「計画がある者」と「計画がない者」が運命を変えていく物語だからです。

世の中には計画を立てて、それをキレイに進めることに快感を感じる人もいるようですが、わたしはそちらのタイプではありません。なのに5か月ものスケジュールを考えるなんて。

結果は目に見えていました……。


「日本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール」とは、2本の短編小説を日本語に翻訳し、1月末日までに提出する。それだけ。

そ・れ・だ・け!?

コンクールの情報を得たのは9月のことでした。5か月あるし、なんとかなるかもと思ってしまったのが運の尽き。それなりにスケジュールを立てて進捗を確認しながらやろうと思っていました。

思っていました!?

世の中、「思う」だけではダメなんです。夏休みの宿題だって計画通りにやったことなかったのに。というか、宿題をやったことがなかったのに。構想した時点で無謀すぎることが分かりますよね。今さらですが。

わたしの韓国語レベルはというと、いちおう上級レベルで日常会話は普通にできます。これまでネットニュースの翻訳やテレビ番組・映画の字幕制作をしたこともある。でも、文芸作品となると、ちょっとだいぶかなり世界が違うんです。

世の中にある翻訳に関する書籍や学校は、英語を対象としたものがほとんど。中国語が増えてきたな、という印象はありますが、韓国語の翻訳、それも文芸翻訳には参考書もなく、教室も少数しかありません。

なのに、なんで「苦労を買って」みようと思ってしまったのだ!?

アホへのツッコミは5か月前にしてほしかったですよ。

そんなわけで、文芸翻訳の助けとなりそうなものをあれこれ探しました。その結果、ガイドとなりそうな本が『文芸翻訳入門 言葉を紡ぎ直す人たち、世界を紡ぎ直す言葉たち』でした。

この本も基本的に英文和訳を対象とした解説ですが、「Q&A 翻訳家への12の質問」がとても参考になりました。

・訳注をつけるとき、気をつけるポイントは?
・原文にあるユーモアを活かすコツは?
・良い翻訳とは?

といった、原文と日本語だけに向き合っていては分からないことを教えてくれます。この本で知ったことをベースに、翻訳作業に入る前に「計画」を立てました。

さあ、ようやく本題です。

翻訳なんてやる人はあんまりいないかもしれませんが、それも英語以外の外国語の翻訳をやってみようなんて人がどれくらいいるのか分かりませんが、うっかり挑戦したいと思った方のために、わたしの手順を紹介しようと思います。誰かの参考になればうれしいですが、もっといい方法があれば、ぜひぜひぜひぜひ教えてください。

☆☆☆☆☆

<翻訳の手順>
① 日本語版の分析
② 韓国でのレビュー分析
③ 第一次翻訳
④ 訳もれチェック
⑤ 不明部分の調査
⑥ 日本語化作業
⑦ 第三者素読み
⑧ 校正

① 日本語版の分析

近年、日本では韓国小説ブームが起きていること、ご存じですか? おかげで、多くの小説やエッセイが翻訳出版されるようになりました。10年ほど前に「本を100冊ほど読めば、語学力が上がるかも」と思い立ったおかげで、我が家には韓国語の本がたくさんあります。その中から日本語版が出ている小説やエッセイを読み比べてみる。

ポイントは、
・注釈のつけ方
・意訳の程度
・「わたし」の省略頻度
などです。

韓国語も日本語と同じように主語を省略して話すことができる言語ですが、それでも日本語よりも「わたしわたし」していると感じます。あと、形容詞をやたらと重ねる表現が多い。その辺りをどのくらい整理すればいいのかを分析する“予定”でした。

はい。“予定”でした……。

② 韓国でのレビュー分析

今回課題となった短編は、別々の2冊の本に収められています。当然、日本語版は出ていない状態。初めての作家、初めての作品、ということで、情報はナッシングです。

これでは心許ないと思い、韓国のブックサイトで該当書籍を検索しました。どんな作家なのか。これまでどんな作品を書いているのか。そして課題作のレビューを探し、作品の背景を探りました。

短編集ということもあって、課題作そのものに触れているレビューは少なかったのですが、歴史的な背景を知ることができたので読んでおいてよかったです。登場人物の言葉遣いや周囲との関係性は、これを見て決めることができました。

原文とだけ向き合うのがまっとうなやり方なのかもしれません。でも、まったくの白紙でやるよりも、予備知識はあった方がいいと思います。

知らんけど。

③ 第一次翻訳

いわゆる直訳で、文章を置き換えていきます。この時、辞書をパッと探したくらいでは分からない不明な箇所が出てきます。もー、嫌になるくらいボロボロあります。あまり気にせず、マーカーを引いておいて、とにかく最後まで訳すことを目指します。意外と最後の方までいくと、これのことか!と分かるものもあります。

1回目の翻訳にあたるこの段階では、できるだけ直訳を心がけました。日本語としてのなめらかさは後でやるつもりで、意味を把握することを優先したんです。

一周目だ、まだ余裕はあるぜ、という気持ちでいきましょう。

④ 訳もれチェック

最後まで翻訳が終わったら、最初に戻って一文ずつ突き合わせていきます。③の翻訳作業をぶつ切れに行っていたせいか、一段落がゴソッと抜けていたりして冷や汗をかきました。この時、意訳しすぎたかなと思う部分も合わせてチェックし、とりあえず印をつけておきます。

誤訳や係り受けの勘違いも見つけたら直します。ただし、細かくみて考えるのは次の段階と割り切りましょう。

さもないと終わらないです。

⑤ 不明部分の調査

③や④で印をつけた箇所を重点的にあたっていくのですが、一番やっかいな作業でした。知らない単語やことわざっぽいものは辞書、ネットなどで確認する。特に画像検索が役に立ちました。

困ったのは「よく分からない、なにかを形容しているっぽい表現」です。心象風景をなにかにたとえた文学的表現なのか、それとも古典などの引用なのか。判断がつかない。

最終的に、韓国語の先生に問い合わせたのですが、その先生はガッチガチの理系で小説なんて読まない人なので「分かんない」のお返事。途方に暮れました。

そのまま日本語にしただけでは意味不明になりますし、わたしの言葉に換えてしまっては作者の見ている情景と異なる可能性がある。めちゃくちゃ悩みどころです。

文学表現については、前後の文脈を合わせて検索する、文学好きの韓国人に聞く、くらいしか手がないのかもしれません。

⑥ 日本語化作業

第一次翻訳が終わり、だいたいの疑問が消えたところで、日本語としてなめらかに違和感なく読める文章にする作業に移ります。イメージは「カンナがけ」。凸凹している部分をならしていくような感じですね。ここでは類語辞典、日本語の国語辞典、コロケーション辞典が必須です。

⑤でも苦しみましたが、日本語化作業は一番迷い、悩んだ段階でした。

村上春樹さんと柴田元幸さんが翻訳について語った本『翻訳夜話』という本でも、意訳か直訳かが話題になっています。

村上さんが直訳派なのはご存じだと思いますが、柴田さんは「ひたすら主人の声に耳を澄ます」という意見。

正解がない……。

これはやりながら気が付いたことですが、日本語の文章として整っていくと、うまく翻訳できていないところがボコンと浮き上がってくるのです。これには驚いた。

日本語の文章がつながらず、原文に戻ってみると、意味を勘違いしていたということもありました。また、意訳しすぎな気がして素直に原文通りに並べ直してみると、すんなり読める文章になったこともありました。

実は、課題の小説を最初に読んだ時には「おもしろさが分からない……」となったんです。それが、一番大切な部分の意味が分かった瞬間、目の前に景色が現れました。

主人公はこういう状態で会話していたのか!!!

情景が理解できたおかげで、震えるくらい小説に感動しました。遅い。そして感動している場合じゃない。やはり「ひたすら主人の声に耳を澄ます」ことが大事なのだなと実感しました。

小説の主題がつかめたところで、一人称や言葉遣いも変更。

わたし、わたくし、あたし、あたい、私、僕、ボクチン、俺、拙者、われ、オイラなど、日本語は一人称が豊富です。こういう人物が自分のことを呼ぶ時、どう言うだろう。これは似たような年代の主人公が登場する日本の小説も参考にしました。

⑦ 第三者素読み

これは必須ではないと思いますが、できれば入れた方がいいと思います。自分以外の誰かに読んでもらい、日本語に違和感がないか、知らない言葉が出てこないかチェックしてもらうのです。

海外文学を翻訳しようと思うくらいの人だと、その国の文化や生活に、それなりに知識があります。が、小説が出版され、本を手にする人の中には、そうしたことをまったく知らない人もいるわけです。

翻訳者にとっては当たり前に思える風習も、知らない人にとっては疑問がいっぱいかもしれない。これは完全に盲点になりそうなので、韓国語の分かる人、分からない人、どちらにもお願いしました。

訳注が必要かどうか。読みにくいところはないか。

「ここの文、難しい日本語だけど、原文も意味不明だね~泣」

という意見をもらって、さらに磨きをかけることにしたり、誤訳を見つけてもらったり。友人からのフィードバックはとても助かりました。

⑧ 校正

最後はわたしのお仕事領域、校正です。ただし、自分が書いたものの校正ほど難しいものはない!

校正は必ず「紙」で行います。1本20ページくらいの分量になりましたが、(会社のプリンターで)印刷してチェックしました。⑦の作業も紙の方がやりやすかったので、印刷して赤字を入れながら磨きをかける。12回はやりました(感謝しかない)。

表記のゆれや誤字脱字がないか確認していく中で、特に悩んだのが数字の表記です。小説の場合、出版物は「縦書き」ですが、課題の提出は「横書き」指定。

1人、一人、ひとり。3回、三回。7月、七月。

こうした表記のどちらが読みやすいかチェックし、提出用の体裁に整えます。

以上が、わたしの翻訳手順です。

☆☆☆☆☆

ただ今、2020年1月31日の20時を回ったところです。上に書いた手順で課題をまとめ、後はファイルをアップロードするだけになりました。その前に最後の見直しをしないといけません。

外国映画には字幕派と吹き替え派の人がいますし、日本の小説が好きな人もいれば、海外の小説が好きな人もいますよね。地球上で話されているすべての言葉に精通しているC-3POでない限り、海外の文学・映画・論文などに接する時は“翻訳”のお世話になることになります。

腕試しのつもりでやってみようと思ってしまったコンクール。本を入手した9月の始めはちょうど仕事もプライベートも忙しく、なかなか時間がとれない。

ま~、5か月もあるし。

と、アホは思うわけです。余裕かましちゃうわけです。ですが、一番やりたかった「①日本語版が出ている小説の分析」に全然手が付けられないまま10月が終わり、1本目の翻訳もまだ終わってないのに冬物のコート着てるやん、わたし!? ということで、さすがに焦り始めました。おまけに会社の仕事以外のこともやっているもんだから、マジでパニック。

会社以外の仕事をお休みすることにし、ようやく時間を作り出したのは12月でした(なにげに毎日note更新も重かった)。1月の後半になってからは、もう仕事もしたくない。新人が書類を持ってくると、「ここを直してから出し直してね」と突き返す。30分ほど時間ができたら会社を抜け出してカフェで原稿を読む日々。

ほんま、最低やな。


それにしても、人間とは不思議なもので、やらないといけないことに手をつけるのは気が重いのに、やらなくていいことは徹夜してでもやってしまいます。ええ、わたしのことです。

書評のために読み返していた小説に夢中になって徹夜って?

韓国ドラマを一気見するって?

長年放置していた押し入れの整理を始めるって?


そんなことしてる場合か! 


おまけに今は2020年1月31日の22時を回ったところ。noteを書いてる場合じゃない!! しかも6000字超えてるよ……。「1月末日」まであと2時間。現実逃避もそろそろ止めたい。

いや、でも、この際だから、ついでに言っておきます。口ばっかりでなにもせずに逃げる打ち上げ花火みたいな人、それはね……犯罪っていうんです!!! あと、返事しないやつな!!! 問い合わせしといて回答したらスルーってなんや!!! なぜにわたしが後始末をせねばならんのだ!!! 奴は、とんでもないものを盗んでいったんですよ。わたしの時間です!!! ルパン三世ほどのチャーミングさなんて、かけらもないぞ!!! 口だけで実行力のない誠実さもない奴、計画性のないアホに笑われてるぞ!!!

どっちもどっちですね。でも、打ち上げ花火型の口だけの人は、マジで嫌われるから反省してくださいね(根に持っている)。


現在、2020年1月31日の23時15分です。


当初の計画では①と②をやりつつ③を進め、3週間で1本の翻訳を終わらせて、11月には④を完了、12月から締め切りまでの2か月で⑤と⑥をがんばる予定でした。

でも、実際には「④ 訳もれチェック」が終わったのが12月21日。

計画? なにそれ、おいしいの?

という状態です。ギテクパパの言葉にすがりたくなるくらい、不安と孤独と絶望を抱えてどん底にいた日々。5か月間もあったのに、なぜ最後の一週間で全部やることになってるんだ、わたし。

翻訳とはジグソーパズルのようなものです。完成形の絵は箱に描かれていますが、目の前にあるのはバラバラになったピース。きれいにはまった時の快感もあれば、大事なピースが見つけられずに空白地帯が残ることもある。

組み立てていく時の楽しさと、完成した時の喜びがジグソーパズルの醍醐味でしょう。これまでずっと制作部門での仕事をしてきたせいか、わたしは何かが出来上がっていく「家庭」を見るのが好きです。家庭じゃないよ、「過程」だよ。

でも、コンクールで求められるのは「結果」のみ。

わたしはきっと怖いのです。コンクールの結果ではなく、自分が作り上げた結果物が。

自分の実力を認めることほど、つらいものはない。

昨日できなかったことが今日分かるようになると、明日はもっといけるんじゃないかと思えたり、大きな誤訳を発見したとたん、すべてが間違いに思えて絶望したり。

わたしの精一杯はこの程度なのだろうか。もっとやれたんじゃないのか。粘りが足りないんじゃないのか。

これを「完成」としていいのだろうか。


2020年1月31日の23時35分になりました。どうあがいても、今からやり直すなんて無理。のるかそるかの決断を迫られています。


最近はあまりにも物語の世界に入り込んでフラフラしていたため、ダンナが会社まで車で迎えに来てくれたことがありました。ちょうど自宅の工事をしていたこともあり、連絡事項を諸々しゃべってるなーと思ったとたん、わたしが静かになったのだそう。生返事してるから怒ったのかな?と思ったダンナが隣を見ると、わたしは口を開けて寝ていたそうです……。


「死んだかと思ったよ!!」


生きとるわいな!!! この課題を提出しないでどうする!!!


義を見てせざるは勇無きなり!(使い方違う)


頭の中に流れるのは「ロッキー」のテーマ曲!(なんでや)

しがないチンピラボクサーだったロッキーでしたが、絶対的不利の予想をものともせずに最終ラウンドまでリングに立ち続けました。しかもボクサーとしては遅咲きすぎる30歳での挑戦。


エイドリア~~~ン!!!



2020年1月31日23時53分。「送信」ボタンを押しました。



「苦労を買ってする」なんて、するもんじゃないです。計画性って大事だと思い知りました。

そんな気づきを得て、小さくても一歩進んだ5か月間だったと思いたい。

プロの翻訳者さんに心からの尊敬の念を抱いたひとつの挑戦が終わりました。甲子園の砂をかき集める気持ちで周囲に散らばる紙ゴミを集め終わったら。


月曜からマジメに働こうと思います。


以上、計画性のないアホが挑戦してみた、のお話でした!


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