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一番のお友達になるまでの時間 映画「ドライビング Miss デイジー」 #343

往年の名俳優ジョン・ウェインはかつて「私は白人至上主義を信じている。少なくとも、黒人が(社会において)責任を果たせる段階までの教育、教養をつけるまではね」と発言。それでも仕事を干されることはなかったそうです。

ムリヤリ連れてきて、教育環境を与えずにおいて、何言うてるねんという気がしますが、こんな発言ができてしまう時代だったということでしょう。

今週は黒人奴隷に関わる映画を紹介しているのですが、奴隷たちはほぼ読み書きができない人として登場します。

「カラーパープル」では、姉のセリーに妹のネッティが文字を教えます。家中のモノに単語カードを貼り、ふたりで勉強していました。オプラ・ウィンフリー演じる義理の息子の嫁ソフィアに会った際、買物メモを手にとまどう彼女のために、セリーが商品を選んであげるシーンも。

一方、チョー厳しい先生に教わった人もいました。ブルース・ベレスフォード監督の映画「ドライビング Miss デイジー」の運転手ホークです。

元教師であるユダヤ系未亡人のデイジーと、彼女のもとで運転手を勤めるアフリカ系アメリカ人ホークの友情を描いています。

<あらすじ>
1948年。ジョージア州アトランタに住むデイジーは、車で買い物に出かけようとして、隣家の垣根に突っ込んでしまう。息子のブーリーは、彼女のために初老の黒人運転手ホークを雇うことに。頑なに彼を拒否するデイジーだが、徐々に話をするようになり……。

アメリカで公開されたのは1989年。第62回アカデミー賞で作品賞などを受賞しました。デイジーを演じたジェシカ・タンディは80歳で主演女優賞に輝くことになったわけですが、これは最高齢での受賞なのだそう。

第91回アカデミー賞で、作品賞や監督賞にノミネートされつつも逃したスパイク・リー監督の、「誰かを乗せる映画に負ける」という発言が指している映画がこれだと言われています。

大きな家にひとりで暮らし、アフリカ系のメイドを雇い、友人と麻雀に興じ、週末には教会へ行く。

自分の生きてきた道が「正」だと頑なに信じ、そこから踏み出そうとしないデイジー。常に軽口を飛ばして周囲を笑わせるホークとは、まったくかみ合いません。

マイペースを貫きつつ、誠実に仕事をし、少しずつデイジーの信頼を得ていくホークですが、お墓参りのお供をした時、文字を読めないことがバレてしまいます。でも、安心してください。デイジーは元教師。教えてあげますよー。

って、めっちゃスパルタやな!

鬼教師ぶりに笑ってしまいました。一応、クリスマスには本をプレゼントするやさしさも見せてくれます。

息子のブーリー宅にもアフリカ系のメイドが働いています。パーティーの直前、買い忘れたものがあることに妻が激怒。「なんでメモしなかったのよ!」と散々に当たり散らすのですが、彼女もやはり文字が読めなかったのだと思われます。

読み書きができない。そんな境遇に対して正反対な態度をとる白人。この映画は舞台となっている時代がポイントなのかなと思います。

ミス・デイジーは「1888年に12歳で初めてモビールへ行った」と語っているので、1876年生まれのようです。南北戦争が終わってから10年後。まだまだ意識は低かったでしょう。

ホークがデイジーの運転手となったのは1948年。アメリカで公民権運動が激しくなっていくのが1950年代なかばから。その直前に出会い、信頼を築いたふたりを反映するように、社会も変化していくのです。

「わたしは偏見など持ってません!」

映画の冒頭でデイジーはキッパリと言い切りますが、ガソリンスタンドでトイレに行くことなど、アフリカ系の人々に「許されないことがある」ことには無自覚です。また、息子が経営する紡績工場や、工事現場の人々、ドライバー仲間はみな、アフリカ系アメリカ人。奴隷制度は廃止されたものの、彼らの就ける職業は限られていた様子が感じられます。

こうした差別や恵まれない境遇が、チラホラとさりげなくちりばめられています。社会の変化を感じさせる極めつけは、キング牧師の夕食会です。

歴史に残る最大の悲劇は、悪しき人々の過激な言葉や暴力ではなく、善良な人々の沈黙と無関心な態度です。
我々の世代が後世に恥ずべきは、“暗闇の子”の言動ではなく、“光の子”が抱く恐怖と無関心さなのです。

1948年に初めて出会い、1973年のラストシーンまで、実に25年。頑なに彼を拒否していたデイジーが、「貴方は一番のお友達よ」と語るまでになります。甘えたような、とろけたような笑顔を見せるラストシーン。思わずウルッときました。


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