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実家とのつながりを感じたこと


 夫の実家🏠が空き家になり、早5年が過ぎました。しばらくは月に2回通って、郵便物などの片付けや掃除・除草作業🌿などを続けていました。しかし、年月が経つとともに、月に1度が、2ヶ月に1度になっていきました。それでも、法事があるたびに掃除🧹🧼や片づけをしてきました。

 夫は、実家を更地にすることを決意し、片付けに通う日々がまた始まりました。昨日は、2階や倉庫の片づけをしました。次男👨‍🦱も荷物運びや整理の手伝いをしました。


 舅は、食器や壺🏺などの焼き物が好きな人でした。食器棚から溢れるお皿や小鉢を、親戚に使ってもらおうと、段ボールに入れて保存していました。その箱もずいぶん減りましたが、あと3箱残っていました。
「捨てるのは、もったいない!!」
と一念発起し、片付けに参加しました😅

 結婚した時に、夫の実家で使っていた食器もたくさん残っていました。お中元やお歳暮の時期になると、必ず送ってもらった思い出の食器もあります。


モノ(食器)の行方は、ヒトに

 早速一人暮らしをしている長男👱‍♂️に連絡を取り、欲しい食器は無いか尋ねました。
「平皿の中と小サイズが欲しい。」
という返事。
「角皿か丸皿か?」
と聞くと、
「どちらでも。」
という答え。いいですね。どちらでもということは、両方贈ることができます。ついでに、次男👨‍🦱がコップを手にしている瞬間を写真に撮り、コメントをいれて、長男👱‍♂️に送信しました。
「弟👨‍🦱が『兄👱‍♂️に、このグラスコップ🥂がいいんじゃないかな。』と言ってるよ。」
すると、早速の返信。
「グラス🥂も欲しいです。」
その言葉を待っていました!その日に、荷造りをして配送センターへ持ち込みました。

 次男👨‍🦱は、再来年には一人暮らしを始める予定です。その時のために、自分が使いたい食器を選んで取り分けていました。

 舅の食器を孫👱‍♂️👨‍🦱が使うことで、祖父母との思い出が、孫の中で大事に残ることと思います。きっと、舅も喜んでくださっていることでしょう。

 残り2箱分の、昭和チックなレトロ食器を、どうするか考えています。処分するのは簡単ですが、舅姑の顔が浮かんできます。
「大変だろうから、処分すればいいよ。」
という優しい声が聞こえてきそうです。

 いずれ地域の一角で、子ども食堂&シニア食堂&家庭菜園のような
「居場所カフェ☕️🍰」
を作りたいと考えているので、そこで活用するつもりです。

執着心の行方は、今の生き方に


 何度か転勤で引っ越しを経験して感じたことなのですが、どの地域にも忘れ難い良い思い出がたくさんあります。子育てをしながらの転居でしたので、ご近所やママ友に助けてもらうことばかりでした。困ったときはお互い様と、人との強い繋がりを感じた時期でした。

 引っ越すたびに、つらい気持ちになりました。何が辛いのかというと、その人たちとの別れがつらかったのです。その土地やその住居に執着しているのではなく、そこで出会った人たちとの繋がりに執着していました。


 実家がなくなることで、夫の気持ちを考えました。生まれ育った住居がなくなり、父親と母親が亡くなっています。故郷への思慕の情をどこへもっていけばよいのでしょうか。夫は淡々とそして黙々と、実家🏠仕舞いを進めています。

 私もあと10年もしないうちに、夫と同じような境遇になるかもしれません。実家もない。父も母もいない。故郷や実家の思い出はどうしたらよいのでしょう。
 モノと同じ様に処分したらよいのでしょうか。


 生きている今、心が今に無いと、過去に執着してしまいます。私の母は、結婚してからの母親としての生活よりも、幼少期に育った原家族のころの娘としての生活の方が幸せだと感じていました。
 私が生まれてからも、娘時代に戻りたいと口にしていました。そう言われるたびに、私という存在を否定されているように感じていました。

 母は、実家の思い出にとらわれ、生きている今という日々を肯定できず、文句を言い続けていました。それが、故郷への実家への思慕だと分かっていても、家族はその愚痴を聞くことがとてもつらかったのです。

「実家を捨てられないなら、今の私や弟を捨ててしまえば良いのに。」
と思っていました。

 過去を断ち切る必要はないのですが、今の生活を正面から受け止めて前向きに生きていくことができなかった母を責めたくなります。もちろん母一人の問題ではなく、父と母の関係性が問題だったのですが😭


どこかで感じる実家の存在

 以前、長男👱‍♂️と訪れたお店です。のれんをくぐって、ふらりと立ち寄りました。
「いらっしゃいませ。」
店主の男性が、迎えてくれました。

まるで実家のようなお店

 店内に一歩入った長男の第一声が、
「父の実家と同じ家の匂いがするよ。」
でした。

障子戸の格子にも懐かしさを感じます。


 そのお店は、ふろしきを販売しておられました。さまざまな色のふろしきが、折りたたまれて積み重ねてありました。横から見ると、落ち着いた色合いがとてもきれいだと感じました。  

 先客が、買い物を済ませるまで、店内を見て ハッとしたことがありました。  

丁寧にたたんで、積み重ねられています。


 ふと壁をみると、ペルシャ絨毯の絵柄を思い出すような、ふろしきが展示されていました。私が、ハッとしたのは、この絵柄をみて、夫の実家のペルシャ絨毯を思い出したからです。大きくて重い絨毯を出したり片付けたりすることは、重労働でした。年々老いていく舅にとっては、大変な作業だったと思います。

 それでも、自分の好きなものを使い、好きなものに囲まれて生活することが楽しみだったのでしょう。そのスタイルは亡くなるまで、変わりませんでした。

長年愛用されたペルシャ絨毯。


 店のご主人が接客されている様子を見ていました。その様子は、どことなく舅を思い出すものでした。立ち居振る舞いなのか、声色なのか、それとも店の匂い(白檀のお香)なのか。はたまた、展示してあるふろしきの図柄の印象なのか。

ペガサスの図柄模様

 私も、息子も、ずいぶん前に亡くなった舅を懐かしく思い出したひと時でした。この店を出た後も、ひとしきり思い出を話しました。

テイスト色々。綿風呂敷の『趣味の裂地 おしだ』 (by 奈良に住んでみました) (small-life.com)

 夫の実家が解体されても、実家や舅姑を感じることができる私でいることが大切だと思いました。過去にとらわれるのではなく、良い思い出として記憶に残れば良いのです。

 生きている今。どう生きているかが大事なのです。振り返れば、そこに実家を感じる出会いがあるかもしれませんね☺️

 残された食器を、是非とも活用したいです♪





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