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一度も目にしたことのなかった「ルーツ」を知る旅2

母の母は、おそらく私の母が小学生のときにこの世を去った。

私の母は一度だけその(私が顔を見たこともない)祖母のことを口にしたが、その後は一度も言うことはなく、私が40歳のころ、60代なかばで天逝した。

「そういえば私は祖母の名前も知らない」

父方の祖母も早くに亡くなったが、墓へ行けば側面に名前が書かれている。
しかし西新井大師にある墓には墓碑はなかった。

「後妻さん」の子どもたちに聞けば何かヒントは得られるのかもしれない。しかし、少し気が引けた。自分の興味でしかないことだ。まずは自分ができる範囲で調べてみようと思った。

まずは自分の母親の戸籍を調べればいいことが分かった。

戸籍の資料を取るには、平日に役所へ行かなければならない。

まず、自分の街の役場へ。自分の戸籍を印刷してもらう。それを持って、
母が亡くなったときに住所があった某市役所へ行った。自分の戸籍に関する資料がなければ、「あなたは本当に子どもですか?」となってしまうからだ。

市役所にて、
「亡くなった母の母について知りたい」
と言って自分の戸籍を見せる。

そのとき役場の人がどういう言葉を言ったのかは忘れてしまった。しかし変な顔はひとつもしなかった。こういう問い合わせは結構あることなのかもしれない。
少し待ったように思う。
そこには母の母の名前があった。初めて知る(見たことのない)祖母の名前だった。
母は結婚する前、某区にいた。したがって、母の足跡をたどるためにはその区役所で戸籍を調べなければならない(某市ではこれ以上は調べられない)。
その市で取得した戸籍を持参すればいいことが分かった。

しかし、翌年になってから、自分の仕事環境が大きく変わり、それまで比較的融通できていた平日に休みを取ることが極端に難しくなった。
なおかつ、私の住所から某区までは車で2時間以上かかる。ただ往復するだけでも4時間以上。

私の住所で得た自分の戸籍と、某市で得た母の戸籍を持ったまま時間が経過した。

それから4ヶ月以上が経った。
仕事の都合で某区近くへ行く機会ができた。こんなチャンスは滅多にない。
午後4時ごろ、区役所へ着いた。
2枚の戸籍を持ち、「母の母について調べたい」と告げる。
役場の方は、こちらもまったく怪訝そうな顔はしなかった。やはりこういうことはよくあることなのかもしれない。

しかし、調べあげるのは難儀だった。
あらかじめ「40分ほどかかるかもしれません」と窓口で言われたので、駐車場に戻ってかばんの中にあった本を読んだ。
読み終わった。
あとから窓口に来た人が次々と用事を終えていく。
40分ほどして職員がやってくる。「現在の戸籍では名前が出てこないようです。その前に住んでいたところの戸籍も調べてみます」
結局1時間半が過ぎた。ロビーにいるのが私だけになり、携帯のバッテリーもなくなりかけてやることがなくなり、ぼーっとしていたら呼ばれた。

取り出してくれた戸籍は、手書きのものだ。読みづらい。
役場の方が付箋をつけ、そこにポイントだけをメモしれくれていた。
母の母は、昭和21年に山形県酒田市から住所を移したことが分かった。
亡くなったのは29年。
私の母は昭和21年生まれ。つまり、8歳のときに亡くなったことになる。
子どものときに母を失ったのだ。その喪失感を想像すると、やりきれない気持ちになる。

「ここから前のことは、酒田市で戸籍を取得するしかありません」
と区役所の方が言った。
酒田市は、山形県の北部にある町だ。「すごい、なぜここまで東北に縁があるのだろう」と思った。

私の祖先は、仙台伊達藩に端を欲する。その後北海道に移り住み、東京へ移住した。
父の仕事の転勤で、3〜4年だけだが宮城県の南部に住んでいたことがある。
だからなんとなく宮城県と北海道には思い入れがあった。

そして初めて目にした酒田市という住所。
私のいとこの一人は山形県で仕事をしている。
先祖をたどった結果、宮城の隣県にも縁があったということを不思議に感じた。

(つづく)


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至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。