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「毒親」は止められない(上)

今回の内容は「毒親」に関する体験談です。読んでいて気分を害すかもしれません。先にお断りしておきます。お詫びします。

では。

近くにいる、止められない

「毒親」という言葉がある。

私の妻がそうだ。
私には子どもが2人いるが、明らかに状況がおかしくなったのは、2人目が誕生してからだ。

自分の思うように育てたい

という欲しかない。
子どもの意見はそっちのけ。もちろん私の意見も。

厄介なのは、それを自覚していない事。
「そんなことはない。子どもの幸せを願っている」と口にし、
「だからこうしてほしい」と自分の願いを強要する。

しかし、子どもはそれに反発した。
上の子(女子)がある高校に進学したが途中で退学する事になった。
さらにはその先に進んだ専門学校も途中で退学た。
どちらも

「そら見たことか、最初から無理だったんだ、だから私の言う通りにすれば良かったんだ。無茶して自分のやりたいようにするからだ」

と我が物顔になった。

ますます自己主張が強くなり、親子喧嘩・夫婦喧嘩が絶えなくなる。
子どもはとうとう我慢ができなくなり、妻の父の家に逃げ込んだ。
ところがその家(妻の実家)でも日常的な拘束が積み重なる。なおかつ妻も幾度となくその実家に電話をかけ、ああだこうだ言い続けた。「ここでは「避難」になっていない」と考えた子どもは、私の親が住んでいた家(当時は親の事情で空き家になっていた)に逃げ込む事になった。
妻は私の親を毛嫌いしていたので、その家にはなかなか通うことはしなかった(出来なかった)。

子どもにとってようやく安住に近い地を得たのかもしれないが、日常的に言い争いをしていた家から突如夜になると真っ暗になる環境に置かれ、それもまた寂しさが募ったに違いない。
そんな時にタイミングよく伴侶になる人と巡りあう事になった。当時その人は東京に暮らしていたが数ヶ月後に約300キロはなれた地に暮らす事にしていたので、子どもも一緒にそっちへ行く事になった。
以来、一度も我が家に子どもが戻った事はない。

良かった、と思う

食い止められなかった自分の力不足を嘆いた。

退学したことも残念だった。私も説得したが気持ちは変わらなかった。
ただ、それをもってそれが失敗だったとは言い切れない。
つらい経験だったとは思うが、それが違うバネになるかもしれない。
それは誰にもわからないことだ。

だから、とにかく「安住の地」を得られた事は良かったと思っている。

親としてはどう対処すればいいのか、正解はよく分からない。しかし、親が「それ見たことか」と我が物顔になるのは、ただただ自分がマウントを取りたいだけという態度の表明であり、親が見せるべき姿ではないと思っている。

「毒親」に関連する本が、家にあった。

妻は自分でこの本を買い、読んでいたのである。

続きは別の日に。。。



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