In the Pocket #1

いち演奏者、音楽家として、ちょっとした気づきを残していこうかと思ったのは、実は随分前になるかもしれません。
ちまちまFacebookに書き込んでいる僕のメモは、もとはちゃんと紙に書き残していた"練習日記"なる僕の日々の練習による気づきの僕自身へのリマインドと、自分自身のためだけの新たな練習法の開発の種のストックの役割を果たすものでした。
ただ、それだと僕の思い違いも多々あり、閉鎖された日記空間は単なる僕の妄想で、その間違いに気づくのにも膨大な時間がかかるとわかったとき、僕はこの日記をSNSに投稿して誰かと情報をシェアできる、修正してもらえる環境を作ろうと考えました。

しかし、とにかく文が長くなってしまう!!!
あんな親指で押し流されてしまう場所に残しても、議論になるどころか、なんだかどうでもいい広告に紛れるばかり。

というわけで、再び日記スタイルのnoteに独り言です。

あくまでも僕個人の見解なので、そりゃたくさんミスもあるでしょうから、今を生きる演奏家の義務として最新知識や最新の気づきはナンバリングして更新していきます。

一話目となる今回の内容はベースラインと、グルーヴの要となるポケットという考え方の話。
もともと吉島智仁名義のFacebookに載せたもので、加筆はありません。
はじまりはじまり。


自分的にはわかりにくいものをやっているつもりは一切なくて、当然意地悪な演奏をやるつもりもなく、できるだけ内側から聞こえてくるがままのものをアウトプットしていきたいなぁと常に思っています。

ところがどういうわけか、環境、場所によってはそれがうまくいかないことがあり、演奏仕事が多くなればなるほど、やっぱり"当たらない"という悩みが増えてきます。

当たらないというのは、つまり、大事にしているものをシェアできないという瞬間のことで、これは僕にももちろん原因があるんだけど、だからこそその原因を完全に分析してクリアにしたいと思うわけです。

悩みの種を解決したのは、拍の捉え方と、ベースのラインでした。

今回は、先にベースラインの話。
もう随分昔になるけど、音楽をかけっぱなしのまま、僕が洗濯物を干しに行って、戻ってきて、なってる音楽を途中から突然歌い始めたことがありました。
流れていた音楽はアドリブの真っ最中。

"ねぇ、どうして途中からすぐにこの音楽が今どこをやってるかわかったの?"
と、かみさんが訊きます。

え?、そういうもんじゃないの?
でも、そういえばなんでなのか。

そのときはうまく説明できなかったけど、その答えはベースラインにあります。
当然1音ずつしかベースラインは出ませんよね、通常。
それでもコードが明確にわかり、進行も、まるで先を明示してくれるかのように聞こえてきます。
たとえどんなに譜面に記されたコードから遠い音でも、なぜか現在地と拍までわかってしまうんです。

かみさんに質問されたとき、僕はそれを当然だと思っていました。
だからうまく言葉で説明できなかったんです。

個人的に大好きなベーシストが数人いて、その人たちを聴いてると一切の迷いがなくなるどころか、いかなるリスクを冒してでも冒険に出たくなります。
たった1音で場所とグルーヴを特定するその素晴らしいベーシストたちこそ音楽の中核なんです。

仮にそのベーシストがいなくなっても、仮想ベーシスト的に僕の頭にその人たちのラインが残り、例えばサックスやトランペット、ボーカルの人とのデュオでも僕はやっていける!という自信を作り上げてくれるんです。
そんなベーシストが、先日台風で本番が飛んでしまった水谷浩章さんだったり、一緒にやってる木田浩卓くんや阿部泉さん、手島昭英さんや上田哲也さん、野々口毅さんだったりします。
つまりいい演奏ができる環境には、素晴らしいベーシストがいる!ってことですね。

アンダーシュ ヨルミン、スコット コリー、ホルへ ローダーは勝手に自分的三大ベーシストです。
ラインも美しくて、しかも挑戦的!
宇宙がグニャグニャになっても、なんでも引き寄せてしまうブラックホールのような吸引力で音楽を形にしてしまうモンスター。

どんなに拍子がこじれていようが、小節数が変だろうが、彼らにかかるとあら不思議、難しさを感じなくなってしまうんです。
いやー、ベーシスト、マジ凄い!!

"当たらない"という事案は、こうした人たちの前ではほとんどの場合、ほぼないと言えます。
つまり、シェアしてるものが確固として共通なんでしょう。
かつ、その人特有のチャレンジが出てくるから、そこからがアンサンブルの最も面白いゾーンです。

いつしか木田くんが言った、"数えたら死ぬ"という名言を思い出します笑
みんなで笑っちゃったけど、それが真理なんだよね。
ただ歌えばいいんだ。

そういうシンプルな気づきが、さらに音楽を面白いものにしていきます。
何を今更って言われそうだけど、当たり前だと思っていたものの中にこそ次につながる発見があるんだよね。

鯨のヒレにでこぼこがあるのは当然でもないし、偶然でもない。
その理由を考えたことってある?

そういう話。


話変わって。

ある日のレッスンでのこと。
生徒に教えるリズムパターンを説明するために、僕がカウントを出さずにそのパターンを叩き始めました。
そうすると、生徒が怪訝そうな顔をします。

"先生、裏返ってませんか?"

ん?裏返ってる?
なんでそう聞こえたのか、僕にはわからないので、今度はちゃんとカウントを出して叩いてみました。

"あれ、ちゃんと聞こえる、、、。"

ほ、よかった。
じゃ、僕の真似して入ってみましょう。
1、2、3、4、タン、ドン。
ありゃ、裏返ってる、、、。

そう、理由はかんたん。
僕のタンはカウントを3までとって4拍目を叩いたもの。
彼女のタンは4までカウントした1拍目にきているということ。

探している拍が常に1拍目だという考えは、僕には全く想定外でした。

"日本人は頭ノリ"とよく言われるけど、その認識は間違っています。
僕が話を聞いた民謡の名手である当時90歳を越えていたおばあちゃんは、歌い出しの"は、あー"の"は"のところ(4拍目裏)で見事なアウフタクトを聴かせてくれて、息とも声ともつかないその音で、一瞬にして空気を真空状態にしたかのような緊張感を出しました。

ということはつまり、おばあちゃんは3拍目にはすでにブレスのモーションに入っている可能性があり、その時点で彼女にとっての音楽はもう始まっていることがわかります。

しかも歌い始めてから、軽々とシンコペーションを繰り出し、ずれ込むようにして次の小節の1拍目裏で装飾音のように詰め込んだ言葉を入れて、2拍目で着地、3拍目でたたんのたんと手拍子を打って、4拍目からアウフタクトのように緩やかに言葉が入って、次の小節へ流れていきます。

はじめ聞いたときは、これって変拍子なの?と思いきや、ちゃんと4拍で解決していました。

歌を主体とするこの手の音楽は、俳句の5.7.5.のように、言葉数によって拍が決まってきますが、その間に休符やロングトーンが入って4の倍数で落ち着くことが多々あります。
そこが合いの手の打ちどころというわけです。

例えば炭坑節もしっかりずれ込みが入ってますが、これなんか実はとっても複雑で、曲の拍数に対して、踊りもまたずれ込んでいきます。
太鼓もずれ込むし、歌もずれ込んで、踊りもずれ込む。
一体どこで全員揃うんだ?な感じなはずなのに、なぜだか誰もが踊れるあのグルーヴはなんなのか。

英語にはこれを表すちょうどいい言葉があって、"pocket"と表現されています。

民謡のおばあちゃんに、
"どうしてそのタイミングで手拍子なんですか?"
と真面目な顔で僕がきくと、
"どうしても何も、ここで叩かにゃ、どこでは叩くんだわさ、あんたも叩いとったがな"
と大笑いしながらの返答。

確かにそうなんです。

おばあちゃんは確実にこのポケットを感じて歌っていました。
そして、その明確なポケット、これは間違いなく引き寄せられるものすごい重さ。
まるでブラックホールのような、、、。

ふと、思い出したのが、はじめてマイケルジャクソンを聴いたときのスリラー。
耳に飛び込んでくるのはあの強力なスネアの音。
僕が探しているのは1拍目ではなく、2、4に鳴るバックビート。
"ハッ"みたいな裏から入るマイケルのブレスからの歌い出しだけを聴くと、これ一体どこよって感じだけど、強力なバックビートがあると、そのあまりの重力に2、4拍目はまず間違うことはなく、さらにまるでレイヤーがいくつもできたように音楽が立体的になります。

イントロだって、確かに頭で"ジャー、ジャーン"と鳴るのに、なぜだがその前にすでに音が鳴ってたかのようなロケットスタート。
いや、実際、音楽はすでに始まってたんですよ、少なくともアウフタクト4拍目には!

で。
奇数拍子にもこの2、4の隠れたバックビートが存在します。
その気づきのきっかけになったのは、音大生時代のある日のレッスンでの、お師匠さまの提案。

"速いスウィングが苦手なら、まずはタイムモジュレーション覚えて、別の層を作って乗ったらええやん"。
そこで出てきたのがウェインショーターのフットプリンツでした。
トニーウィリアムスの演奏を詳しく説明してくれて、1週間そればかり練習してはレッスンに持っていき修正修正、、、。
そんなことをしてる時に、うちにあったUAのライヴ盤"la"での外山さんの"波動"での演奏。

これやん!!
何回聴いたんだよ、、、。
もう知ってんだよ、よく分かってなかっただけで、、、。

3拍子が1.5拍を1拍として2拍化されて、そのまま4拍子へ。
それに気づくと、マイスパレードもトータスもやってるんだよ、すでに。
てか、6/8のアフロキューバンリズムってそういうことやん!!
と、頭に雷落ちた感じを味わいました。

その時から20年。
今時、J.ディラのリズムマシンのヨレを、5連符シャッフルとして具現化できる時代。
この国にはリズムを詳しく分析した書籍はあまり見つからず、とっても古い本がいまだに刷新されることなく出回ってて、そのまま教育の現場に置いてあります。

譜面に書かれてる情報は、ほんとに氷山の一角に過ぎません。

あるドラマーが言いました、
"クラーベなんだけどさ、2-3っていうより5連符ぽくやると雰囲気出るんだよねー"。

ほんとだー!
もうやだよ、今までの練習、なんだったのよ、、、な出来事が死ぬほどあります。

”訛りは奇数連符"、"2という数字はなんでも割れちゃう"

そんなこと、そういえばお師匠さまが言ってたなぁ、、、。

巨大な2、4の重力の中にいれば、広い宇宙でも迷子にならないのかもね。

ただ、案外、それってシェアできていないのかもしれないなぁ。
うーん、まぁ、数えてるときは少なくとも体感できてないときだからね。

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