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【お金のこと】サイゼリアかドトールか、迷って迷って歩き回って感じる極めて小さな達成感

人並みの給料はもらえるようになった。
自分をもっといたわろうと思えるようになってきた。
それでも私は、「自分に」お金を使うことにとてつもない決心を要する。特に少額の出費だと特に抵抗感は強くなる。

手がかかるんだから、せめてお金のかからない子どもでいようと思ったはじめての日のこと| #note https://note.com/3337777/n/n1e042fb9ab19

仕事終わりやリハビリ前に、noteを書いたり本を読んだりで喫茶店に寄ることがある。家に帰ればドリップコーヒーがあるので、そもそも店に寄る必要はない。自分にお金をかける必要はない。
それでも、「わざわざ喫茶店に行く」という行為は都会に出て来て自分が何年もかけて身につけた「自分にお金をかける」、「自分を大切にする」術だ。
いっぱしの社会人になった気分も味わえる。

問題は平日の仕事終わりだ。夕食を食べるか食べまいか。小さな問題だかチャージしているお店のカードは使えないので現金で支払う。お金が出ていくのが怖い。でもコーヒーショップに行ったら空腹でタスクがはかどらないので本末転倒だ。
夕食のための、チェーンのレストランでの月数回の食事であれば、特にお金に困ることはない。単なる気持ちの問題なのだ。わかっているのに、「お金を使う」行為そのものに抵抗感を感じる。将来の貧困のイメージが横切る。

帰ったら自炊をすれば良い。いや、自炊するエネルギーが残っているのか?自分に優しくすることに決めたのでは?また、脳内ではいろんな考えが反芻する。
結局、割安な店を探しまわり、その間に体力を消耗し気持ちをすり減らす。店内に入っても、自分で勝手に設定した上限金額を越えないように計算する。
私は何をしているのだろう。

ふと冷静になる。

小さな頃は、親に養ってもらっているから、障害で迷惑をかけるから自分にお金をかけてはいけないと思っていた。でも今は自分で稼いで、自分で自分を養うことができている。だれに迷惑をかけるでもないのに、私はお金を使うことが怖い。とくに食事や日用品など、少額のお金にとらわれやすい。

小さい頃からたいして変わっていない自分。罪悪感を感じる対象が、親から自分に変わっただけだ。
きっとどんなに稼いだとしても、この罪悪の感覚は簡単には変わらないだろう。金額の問題ではなく、自分にかける気持ちと、背後につきまとう将来への不安が消えることはないだろうから。

それでも、勇気を振り絞り、理由をつけてお金を使う。チェーンのレストラン、パン屋さんの食パン、デパコス、質の良い洋服。その度に自分の殻をひとつ破れたような、悪いことをしてやった、みたいな妙な達成感もある。
小さい頃にはできなかったこと。自分で選んで自分で決めること。
全く異なる感情の同居を許して、熟考の末に辛味チキンを追加注文した。

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