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睫毛を抜くことが、私の最初の感情コントロール術だった。

我慢の必要がないときに、自分から積極的に我慢する方法を覚えていった。

手がかかるんだから、せめてお金のかからない子どもでいようと思ったはじめての日のこと|なな #note https://note.com/3337777/n/n1e042fb9ab19

子供ながらに、手のかからない良い子でいなければ評価されない、と身の振り方を考えながら行動していた記憶がある。
リハビリでは、痛くても痛いと言わない。気に入らなくても、母が着せたい服を着て学校に行く。常に周囲の状況に気を配り、適切な反応をしなければならないとレーダーをはっていた。「欲しい」と思ってはいけないし、願望を表現すること=迷惑をかけることだった。感情を素直に表現できる弟が羨ましかった。クリスマスに欲しいもの。学校へ行きたくない気持ち。誉めて欲しい。我慢はできるが、適切な発散の方法なんてまだ持っているはずもない。

鮮烈に残るストレス発散の最初の記憶。確か小学校低学年くらいの頃だ。家族並んで毎日寝ていた2階のベッドで目覚めてぼーっとする。戦隊ものかおじゃ魔女ドレミかの子供向け番組の音が小さなテレビから流れてくる。
私は、無意識に睫毛をつまんで、抜けるか抜けないかの遊びをはじめる。引っ張るとぷつっと音がする。まぶたの皮膚が動く音。睫毛が抜けるときもあれば抜けないときもある。
授業のとき。車に乗っていて、なかなか家まで帰りつかないとき。無意識に指はまぶたに動く。クラスで他の女の子も同じ行動をしていて、「わたしだけじゃないんだなぁ」と思う。それがストレス対処の方法だったことは、思春期になってやっとわかった。

リストカットだけでなく、爪を立てて皮膚を引っ掻く、極端な爪噛み等の行為は、うつ状や無感覚状態から逃れるために痛みによって心を刺激する手段にもなるし、不安や動揺を和らげる手段にもなる。自己治療として、自傷を使っている。
V.J.ターナー 「その後の不自由」 p 178
www.amazon.co.jp/dp/4260011871

睫毛に爪噛みぐせ、髪の毛の抜毛からかきむしりまで、今でも「ストレス」がたまると時々顔を出してくる幼い対処法。やっと理性的な「自己治療」の方法を発見したのは、何回も傷ついた後、社会人になってからだった。(続きます)

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