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太宰治が好きな彼女

昔から「私小説」というジャンルが好きだ。

私小説(ししょうせつ、わたくししょうせつ)は、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ぶこともあるものの、私小説と心境小説は区別されることがある。日本における自然主義文学は、私小説として展開された。
※Wikipediaより

私小説はだいたい暗い。
作者自身がまだ「何者」でもなかった時代を描いている場合が多いためだ。
不安感や厭世観や諦念にあふれている。
だから、私小説は続けて読んではいけない。
特に西村賢太(代表作『苦役列車』)はいけない。
死にたくなる。

でも稀に、私小説きっかけで彼女ができることもある。

演劇に興味を持ち出した大学生の僕は、ある新劇の劇団の研究所に入った。
ある日の稽古後、同年代の男女数人で呑みに行った。
隣に座った女の子がかわいかったので話していると、文学好きで私小説好きであることがわかった。
すぐにその子と付き合いだした。

かわいくて性格もいい、申し分の無い彼女だった。
ただ、夜ふたりきりになると、

「最期は心中しようね」

と、愛情を確認するように聞いてくるのだった。
キラキラした、花のような笑顔で。
彼女のお気に入りは、太宰治だった。

その頃の僕は、誰とお付き合いしても長続きしなかった。
理由は簡単で、僕が子供だったせいだ。
付き合いだしのラブラブの頃はいいのだが、初めてのケンカで、そのまま別れてしまう。
そして後で死ぬほど後悔する。
このパターンを何回も何回も何回も繰り返した。

彼女とも例外ではなく、3ヶ月ほどで別れた。
そしてまた例によって、死ぬほど後悔した。

それから1年ほどして、僕はある舞台のオーディションを受けに来ていた。

そこに、彼女がいた。

一瞬「気まずいかな⁉︎」と思ったが、僕を見つけた彼女は、1年前と変わらぬ笑顔で走り寄って来た。
もともと、自分自身の一瞬の感情でむりやり別れたので、未練たらたらである。
「よりを戻せるんじゃないか⁉︎」
一気にテンションが上がる。

ただ、ここにはよりを戻しに来たのではなく、オーディションを受けに来たのである。

彼女の番になった。
彼女は中・高と演劇部だったため、発声がしっかりしている。
しっかり「し過ぎ」ていて、宝塚のように朗々とセリフを発する。
彼女は小柄で地声もかわいらしいのに、いざ芝居になると突然「いい声」になってしまうのだった。
真矢みきさんみたいな外見ならハマるのだろうが、彼女の場合、見た目とのギャップがあり過ぎる。
その辺も変わってなくて、思わず苦笑してしまった。

そして僕の番。
自信たっぷりに演じた。
手応えを感じた。
「もらった」と思った。

審査員の審議待ちの間、僕はずっと彼女と喋っていた。

久しぶりに会えて嬉しい。別れたことをずっと後悔していた。こんなところで再会するとは、これはもう運命である。しかもこれから共演することになるとは、本当に幸せだ。

そのような主旨のことを、ペラペラ喋った。
彼女も概ね同意のようである。

ただ、あの大仰な発声はどうにかならないものか。そのかわいらしい声を生かした方が、より魅力的に映ると思われるが如何?

そのような主旨のアドバイスも行った。
彼女も納得しているようだった。

「とりあえず、これ終わったら呑みに行こうよ‼︎」
「行こう行こう‼︎」
変わらぬ花のような笑顔で、彼女も答えた。
これからものすごく楽しくなる予感がした。

結果発表。
彼女は合格していた。
僕は落ちていた。

彼女に見つかる前に、ダッシュで逃げ帰った。
僕の人生でいちばん速く走れた。

それから20年以上たつけど、彼女がどうしているのかは知らない。
その公演以降、彼女の名前は聞かないので、もうお芝居は辞めたんだと思う。

年齢的に、とっくに結婚して子供も産んで、幸せに暮らしているか。
あるいは、本当に好きな人と心中して本懐を遂げたか。
彼女にとって幸せな結末ならば、どちらでもいいが。


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