光彩

 冬の草原、蜻蛉の群れに囲われる。さながらこの国の季節を知らぬ一芸術家の作品のような非現実。とはいえ動揺はない。夢の中では不思議と焦りも緊張も、不安定な感情が往々にして欠落しているものだ。私は恐らく私自身の現実での経験から生み出された半端にリアルなこの夢を、穏やかに達観する。

 視界に光彩がちらつく。蜻蛉の翅の異様な輝き。これもまた現実と乖離した風景だ。輪郭の不明瞭なくすんだ虹の色彩とでも言おうか。それも絵画の色彩の系統ではなく、電子的な鋭さを孕む光彩。見ているだけで指の先がざらつくような不快を覚える。そうだ。私はこの色彩に見覚えがある。

 子供の頃、よくテレビの画面を至近距離で見入った。遠目では鮮明な映像を映し出すのに、間近で見ると三原色の点列でしかないそれは幼心には非常に不可思議で、「全ての色は三つの色でつくられている」ことを父の説明を以ても真に理解することは出来なかった。しかしそれはまさに現実として目の前の画面に顕れている真理であり、認めざるを得なかった。現実への信頼と享受が正しい成長の過程であると信じる他なかったのだ。

 その時の光景だ。画面の前でしゃがみこみ、延々とデジタルの三原色を眺めていた時。段々と点列なのか線なのか判らなくなる感覚に陥った、あの時。そして今まさにその不快を追体験させられている。早く此処から離れたい。どうか、今直ぐに目を覚ませ。

 そう念じた刹那、蜻蛉の大群が私に向かってくる。幻想の羽音と質量の波に圧される。咄嗟に大群を手で払おうとしても、腕が動かない。歩こうと思考せずとも歩ける現実とは違う。夢の中で私は只のマリオネットだ。極彩色を映すこの両目と繋がる頭は空の器。現在思考している脳は夢の外部にあり、そこから人の器へと絲は垂れている。絲は弛んでいる。一生懸命に引っ張っても直ぐには動かせない。

 色が濁り、くすんでゆく。圧倒的な密度に光は阻まれ、呼吸は妨げられる。苦しい。死の概念が無いと分かっていてそれでも尚足掻かざるを得ない。己が身を引き千切らんばかりに絲を手繰る。動かない体を、殻になった体を割って、夢からの脱皮を、さあ。


 こうして今朝、私はまた世界を一つ壊して目覚めた。

 

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